えっ?!あの人も?和歌山にゆかりのあるオリンピック選手まとめ

出典:ミドルエッジ

2016年8月5日から始まる第31回オリンピック(inリオデジャネイロ)日本人選手の活躍が楽しみですね!!今回、和歌山出身・ゆかりのあるオリンピック選手をまとめてみました。これから、どんどん和歌山出身選手が出てきて欲しいですね♪

日本人初の女性金メダリスト

前畑秀子 【1932年ロサンゼルス・1936年ベルリンオリンピック】

和歌山県伊都郡橋本町(現・橋本市)出身、紀ノ川で泳ぎを覚え高等小学校2年生のとき汎太平洋女子オリンピックに出場し100m平泳ぎで優勝、200m平泳ぎで準優勝し子供の頃から才能を発揮。1932年に開催された、第10回ロサンゼルスオリンピックの200m平泳ぎに出場し、0.1秒差で銀メダル。大会後は引退も考えたが、周囲の説得と大きな期待におされ、現役続行を決意。1日に2万メートルも泳ぎきる猛練習を重ね、1933年9月30日に200m平泳ぎの世界新記録を樹立。
前畑秀子 前畑秀子
左→橋本小学校時代の前畑さん (出典:橋本市ホームページ)
右→オリンピックでのメダルを授与される前畑選手 (出典:鴨沂高校の校舎を考える会)

3年後1936年ドイツで開かれたベルリンオリンピックの200m平泳ぎに出場し、地元ドイツの選手とデットヒートを繰り広げ1秒差で見事勝利を収める。日本人女性として五輪史上初となる金メダルを獲得しました。この試合をラジオ実況していたNHK河西アナウンサーは興奮のあまり「前畑ガンバレ!前畑ガンバレ!」と20回以上も絶叫し、真夜中にラジオを聞いていた日本人を熱狂させた。その放送は現在でも語り草となっており、前畑秀子の栄光とともに語り継がれています。また現在、前畑秀子さんを主人公にしたNHK「朝の連続テレビ小説」のドラマ化を求める誘致活動が本格的に動きだしております。

日本バレーボールの切り札!「世界一のアタッカー」

宮本恵美子 【1964年東京オリンピック】

和歌山県和歌山市出身。和歌山商業高校在学中にスカウトされて、実業団の日紡貝塚(当時)に入部。入部当初は不器用なタイプで、アタックは強烈だがレシーブやトスがこなせず、不遇な期間を過ごした。しだいにトスやレシーブが上達し、5年目にしてレギュラーを獲得した。「東洋の魔女」
の一員として、1962年の世界選手権では優勝に大きく貢献しMVPを獲得、「世界一のアタッカー」と呼ばれた。つづく1964年10月の東京オリンピックでも金メダル獲得に大きく貢献した。
(出典:Wikipedia)

決勝戦は27秒!!相手につけいるすきを与えない強さ

野村豊和 【1972年ミュンヘン】

1972年ミュンヘンオリンピックの柔道70kg級(中軽量級)に出場し、金メダルを獲得。得意技は一本背負投げや巴投などで中でも一番は左右どちらからでも自由に出来る「背負い投げ」まさに必殺技!!!
オリンピック決勝戦でも、開始27秒。右から入ると見せかけ、瞬時に左に切り替えての得意技、背負い投げでの勝利。本家の力を見せつけた。
オリンピック後、和歌山で高校の体育の先生として活躍され、退職後は和歌山で野村柔道場を運営されている。オリンピック3連覇した野村忠宏選手の叔父にあたり柔道一家。

野村豊和
1972年ミュンヘンオリンピックにて金メダルを獲得した野村豊和氏 (出典:サンスポ.com)

野村豊和野村豊和野村道場(出典:野村柔道場 TCJ ブログ)

非の打ちどろこのない演技 オリンピック史上初のトリプル10点!!

森末慎二 【1984年ロサンゼルス】

現在は、タレント・落語家としてマルチに活躍されている元体操選手、森末慎二さん。出身地は岡山県で岡山関西西高校から日本体育大学に進み、卒業後は和歌山の「紀陽銀行」に就職し体操部に所属。
1984年ロサンゼルスオリンピックに出場。種目別・鉄棒決勝で10点満点(規定演技、自由演技もあわせると3回の鉄棒演技すべてで10点)を出し金メダルを、また跳馬では銀メダルを獲得した。体操団体では銅メダルで、1つの大会での金、銀、銅の3つのメダルを持っている。また平行棒におけるオリジナル技モリスエ(後方棒上かかえ込み二回宙返り腕支持:難度D)の名でも知られる(鉄棒にも同名の技がある)。

森末慎二

出典:ミドルエッジ

森末慎二 森末慎二
左→体操男子史上初の「トリプル10点」を出した1984年ロサンゼルス五輪での森末さんの鉄棒演技
(出典:毎日新聞)
右→ロス五輪で着用していたジムシャツ。わかやまスポーツ伝承館(フォルテワジマ3階)で展示されています。(出典:毎日新聞)

名言!!
「五輪で、だれにでもチャンスがあることを学んだ。それを伝えたい」

太田拓弥 【1996年アトランタ】

日本のレスリング選手(フリースタイル)。和歌山県新宮市出身。霞ヶ浦高校、日本体育大学体育学部体育学科卒業。日本体育大学助手、霞ヶ浦高校教諭、現早稲田大学教職員、指導者(コーチ)としては2008年低迷していた早稲田大学レスリング部を復活させフリー王座で初優勝に導き、メダリストとしての手腕(精神面・技術指導)を発揮した。1996年アトランタオリンピック男子フリースタイル74kg級で銅メダルを獲得した。日本はヘルシンキオリンピック以来、不参加だったモスクワオリンピックを除きすべてのオリンピックでレスリングのメダルを獲得しており、もし太田がメダルを逃すと、その伝統にピリオドが打たれるところだった。(出典:Wikipedia)

日本体操史上3兄弟揃ってオリンピック出場!!

田中和仁・田中理恵・田中佑典 【2012年ロンドン】

和歌山県岩出市出身、父親は体操クラブを開いており、母親も体操選手、3兄弟全員体操選手という体操一家。

田中和仁
2009年全日本選手権男子個人総合で2位入賞を果たすと、NHK杯でも男子個人総合で2位入賞し、世界選手権代表に初めて選出された。同年10月、ロンドン(英国)で行われた世界選手権の個人種目別決勝の平行棒で銅メダルを獲得。個人総合でも4位と健闘した。2012年ロンドンオリンピックでは団体総合では当初平行棒、鉄棒、床の3種目で演技予定だったが、急遽あん馬にも出場。床とあん馬であん馬で失敗したが、平行棒と鉄棒で15点台の得点を出し、銀メダル獲得に貢献。(出典:Wikipedia)

田中理恵
2010年世界体操競技選手権大会では、最も美しい演技で観客を魅了した選手に贈られる「ロンジン・エレガンス賞」を日本女子で始めて受賞。
2012年全日本選手権大会個人総合においてはつ初優勝。同年NHK杯体操女子個人総合においても優勝し、ロンドンオリンピック出場を決めた。兄和仁、弟佑典も五輪出場を決め、3兄弟揃って五輪出場は日本体操史上初の快挙となった。ロンドンオリンピックでは団体の2大会連続決勝進出(8位入賞)に貢献した。(出典:Wikipedia)

田中佑典
2011年世界選手権初代表、初出場を果たす。2012年ロンドンオリンピックの代表に選出されれ予選の鉄棒で落下するミスを犯すも、団体総合の本番では鉄棒16点という高得点をマーク、チームの銀メダル獲得に貢献した。2014年世界選手権では個人総合で銅メダル、団体総合で銀メダルを獲得。2015年世界選手権でイギリスを僅差で上回り金メダルを獲得。(出典:Wikipedia)

※本文中の情報は引用元の情報に基づきます。実際に訪れる際には、事前に確認することをお勧めいたします

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