銅像・石像でたどる名だたる和歌山の偉人part1

出典:中途挫折の和歌山の城めぐりから木像塔めぐりへ

観光地やまちなか、近所のお寺などにポツンとたたずんでいる銅像・石像。彼らは何かしらの功績を残したからそこに居るわけで…。でも、その銅像・石像に一目置く人は少なく…。ということで、和歌山の銅像・石像をクローズアップ。気にかけて目を向けると。これからのまちなか散策、観光がもっと楽しくなるかもしれません。

和歌山市は吉宗のふるさと

徳川吉宗

徳川吉宗は紀伊和歌藩2代藩主徳川光貞の四男。幼い頃を和歌山城下(現在の和歌山市)で過ごし、1705年和歌山藩主を継いで吉宗と改名。紀州五代藩主を約11年間つとめました。その後、享保元年(1716年)に異例の抜擢で徳川八代将軍となり幕府財政の改革と幕政の強化につとめ、倹約の実行・実学の奨励・新田の開発・目安箱の設置・享保の改革を行いました。

テレビでは暴れん坊将軍で有名となり、和歌山市には颯爽と馬に乗った銅像が設置されています。

【銅像設置場所】
◆国道42号線、県庁前交差点の、近代美術館前(和歌山市)

合気道の創始者

植芝盛平

和歌山県田辺市元町(旧・西牟婁郡西の谷村、現・田辺市上の山)に生まれ、幼い頃から武道に励み、19歳で修行の旅にでて各流の武術遍歴を重ねつつ独自の武術を習得。1942年(昭和17年)にこれを「合気道」と名づけ国内はもとより世界中に園名を広めました。その功績を称え、1969年(昭和44年)に田辺市名誉市民の称号を受賞。

86年の生涯において、たゆまぬ求道鍛錬の結果得たものは、「天地人和合の道」。体を鍛え、技を磨くことによって気と心を鍛え、平和と愛の力、すなわち真の和を求めようとする合気の精神でありました。盛平翁はつねづね「合気とは敵と戦い敵をやぶる術ではない。世界を和合させ、人類を一家たらしめる道である」といい、そもそも合気道は、相手と相和して切磋琢磨をはかり自己の人格完成を目指す武道だと述べています。 (出典:田辺探訪)

【銅像設置場所】
◆扇ヶ浜公園(田辺市)、銅像とともに顕彰碑が建っています。

日本三大水攻めにあった太田城の城主

太田左近

鉄砲傭兵集団、雑賀衆の一派の太田党の中心人物。
備中高松城、尾張竹ヶ鼻城と並び「日本三大水攻め」に数えられる豊臣秀吉の水攻めにより陥落を余儀なくされた太田城の城主。
天下統一を進める秀吉による紀州攻めは、天正13年、総勢10万人の大軍勢によるもので、わずか5000余りの兵力しかない太田勢の鉄砲隊に苦戦しなかなか攻め落とすことが出来なかったため、最後は水攻めにより陥落となった。

【銅像設置場所】
◆JR和歌山駅東口(和歌山市)※駅裏、高速バス乗り場近く

地元で知らない人はいないローカルCM

林スヱ

八代将軍吉宗祈願所としても名高い西国三三カ所第2番札紀三井寺のすぐ隣に設立された和歌山市にある創業130年以上の名旅館「紀三井寺はやし」の2代目女将とし94歳まで活躍した人物。

【銅像設置場所】紀三井寺ガーデンホテルはやし(和歌山市)

紀三井寺ガーデンホテル はやし

西国三十三か所第二番札所紀三井寺のお膝元に120年前より創業。地下1500mより…

住所:
和歌山県和歌山市紀三井寺673

いまだ破られていない史上最強記録

嶋清一(しませいいち)

和歌山市小野町生まれ、昭和14年和歌山県立海草中学(現・県立向陽高等学校)の、左腕エースとし現在の甲子園で全5試合を57奪三振で完封し、準決勝・決勝では連続ノーヒットノーランの快挙を成し遂げチームを全国制覇に導き、また、打者としても打率は5割を超え、野球界の今だ誰も超えられない記録を作りあげました。その後、明治大学に進学し東京六大学リーグで活躍するも、昭和18年の学徒動員によって戦地へ。
24歳という若さで帰らぬ人となりました。

野球ファンはもちろんのこと、大人気となったテレビアニメ「巨人の星」では実名で登場するなど嶋選手の活躍を物語っています。また、平成20年に日本の野球発展に大きく貢献した名選手として永久に讃えられる「野球殿堂」入りをしました。殿堂入りによる表彰レリーフや投球フォームのブロンズ像が和歌山市の「わかやまスポーツ伝承館」で常設展示されております。

【銅像設置場所】
◆わかやまスポーツ伝承館(和歌山市/フォルテワジマ3階)

 

※本文中の情報は引用元の情報に基づきます。実際に訪れる際には、事前に確認することをお勧めいたします
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