歴史に名を刻む知の巨人、南方熊楠ゆかりの地を訪ねて【和歌山市】

幕末に生まれ、明治、大正を駆け抜け、昭和の初頭にその生涯を閉じた南方熊楠。彼の研究は実に幅広く、博物学者として、また生物学者として、さらには民俗学者として多くの功績を残しました。そんな熊楠にゆかりのある和歌山市内のスポットを紹介します。

橋丁~寄合町(南海和歌山市駅周辺)

南方熊楠生誕地の胸像(橋丁)

 

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慶応3年(1867年)4月15日 – 和歌山城下橋丁(現、和歌山市)に金物商・雑賀屋を営む弥兵衛(後に弥右衛門と改名)、すみの次男として生まれる。
出典:wikipedia

ちなみに、ここはポケモンGOのジムにもなっています。
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図4

寄合橋

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南方家は明治5年(1872年)に和歌山城下の橋丁から南隣の寄合町に移転しました。「寄合」の地名は多くの人が寄り合ったことに由来しています。
出典:和歌山市

世界一統

熊楠の父、南方弥兵衛は酒蔵の創業者であり、今現在も受け継がれています。

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「知の巨人」ともいわれ、世界の博物学(特に粘菌類)や民俗学に大きな業績を残した南方熊楠(みなかたくまぐす-1867~1941)は、清酒世界一統の創業者である南方弥兵衛(のちに弥右衛門に改名)の実子にあたります。世界一統は、この弥右衛門が1884年(明治17年)に創業。明治23年に熊楠の弟である南方常楠が事業を継承。現在の直系である社長(南方康治)は6代目にあたります。
出典:世界一統

和歌浦

親交のあった孫文

熊楠はロンドン留学時代に中国の革命の父、孫文と出逢い、その後も親交を深めました。帰国後、和歌山を訪れた孫文を和歌浦芦辺屋でもてなしたと言われています。

孫文と熊楠兄弟との記念撮影。熊楠の弟・常楠の長男を抱くのが孫文。(1901年)

孫文と熊楠兄弟との記念撮影。熊楠の弟・常楠の長男を抱くのが孫文。(1901年) 出典:和歌山県 和(nagomi)

和歌浦芦辺屋跡地


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紀州藩初代藩主徳川頼宣は、慶安年間(1648~1651)に、後に生母養珠院(お万の方)を祀ることになる妹背山を整備するとともに、鏡山の東麓に「芦辺屋」と「朝日屋」という茶屋を造らせました。現在、その跡地には、天保4年(1833)に紀州藩10代藩主徳川治宝の命により建立されたとされる松尾芭蕉の句碑があります。南方熊楠は、ロンドンでの出会いを通じて親交のあった孫文と明治34年(1901)にこの地で旧交を温めています。出典:和歌山市

この石碑から玉津島神社へ進むと玉津島山があり、和歌浦の全景を望む展望台があります。
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雄湊小学校

南方熊楠が入学した雄小学校

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雄湊小学校(2017年3月末に閉校)

熊楠は、現在の湊紺屋町1 丁目に雄小学校(元・雄湊小学校。現・伏虎義務教育学校)は、1873 年に入学したそうです。

いかがでしたでしょうか。
熊楠の足跡をたどって、和歌山市内をおさんぽするのもいいですね。

※実際に訪問される際は必ず事前にご確認ください。
※本文中の情報は引用元の情報に基づきます。実際に訪れる際には、事前にご確認ください。
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