あの平清盛も…?! 熊野詣でをした歴史上のVIPとは

平清盛 (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%B8%85%E7%9B%9B)

熊野詣でとは、紀伊半島南部の熊野にある、熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社の熊野三山を参詣すること。院政期のVIPたちによる度重なる熊野御幸(くまのごこう)がきっかけとなり、熊野詣では日本国中の人々に知れわたり、上下貴賤男女を問わず大勢の人々が訪れるようになりました。「帝や女院も熊野へ参られたそうな」「それも何回も何回も行かれているそうな。よっぽどすごい御利益があるに違いない」「そうだ! 熊野へ行こう!」さて、短い生涯に何度も何度も熊野詣でをしたという歴史上のVIPとはいかに。

 

歴史上最多、34回も熊野詣で催行「後白河上皇」

(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E7%99%BD%E6%B2%B3%E5%A4%A9%E7%9A%87)

後白河上皇(1127~1192)
(出典:Wikipedia)

34回もの熊野本宮への詣での理由は、天皇としての責務である「世の中の安寧」を願うためであったと考えられています。
(出典:zutto motto

後白河上皇の望むことは、極楽往生。
あくどいことをしている人間のほうが本気で極楽往生を願うもの。
(出典:み熊野ねっと

 

その数28回。譲位した年に行うほど熱心「後鳥羽天皇」

往復におよそ1ヶ月費やす熊野御幸を後鳥羽上皇はおよそ10ヶ月に1回という驚異的なペース
熊野を味方につけるという政治的な意味合いも
(出典:み熊野ねっと

 

21回の熊野詣でが、熱狂的な熊野ブームを生む「鳥羽天皇」

鳥羽天皇(1103~56) (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E7%BE%BD%E5%A4%A9%E7%9A%87)

鳥羽天皇(1103~56)
(出典:Wikipedia)

鳥羽上皇は33年の在院期間中に21回もの熊野御幸を行っていました。

1143年の10回めの御幸の折には本宮の神前にて金字で一切の経律論を書写せんと誓いました<中略>
そして、1153年の最後の御幸のときに、書写し終えた<中略>経律論を本宮の神前に捧げ、神の加護を賜るよう願いをかけました
(出典:み熊野ねっと

 

熊野に隠れた3つの財産を狙う「平清盛」

平清盛 (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%B8%85%E7%9B%9B)

平清盛
(出典:Wikipedia)

熊野隠された財産「水軍力」「山伏ネットワーク」
(出典:現代ビジネス

熊野に隠された財産「平安のエネルギー資源」
(出典:現代ビジネス

熊野の地は、経営に欠かせない財産が隠された場所でした。
清盛ははるばる参詣し、熊野三山との協力関係を築きます。
(出典:現代ビジネス

生涯に何度も訪れたVIPたち。険しく厳しい旅をしてまでこの熊野の地へ詣でる理由はなんなのか。
その昔の熊野詣では難行苦行の連続であり、苦行の果てに自らが体得し、悟りと不思議な力を知りえたといわれています。

ちなみに、鎌倉時代に一度は廃れるものの、江戸時代に入り紀州藩主徳川頼宣が熊野三山の復興に力を入れ、再び「蟻の熊野詣」の最盛期を迎えることができたといわれています。
身分や階級を問わず、多くの人々が熊野に憧れをいだき、救いを求め、蘇りを願って異郷の地とも思える山深いこの地を目指しました。

熊野本宮大社
〒641-1731
和歌山県田辺市本宮町本宮
http://www.hongutaisha.jp/

熊野速玉大社
〒647-0081
和歌山県新宮市新宮1
http://kumanohayatama.jp/

熊野那智大社
〒649-5301
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山1
http://www.kumanonachitaisha.or.jp/