失われた軍用トンネル 野村さん情報募る

記憶に残るトンネルがあった方向を指さす野村さん(貴志小学校グラウンド西側で)

太平洋戦争末期の昭和20年7月7日、和歌山市と現在の大阪府岬町を結び、旧日本陸軍が貫通させたとされる軍事用トンネルについて、当時作業に従事した和歌山市北新の野村晴一さん(90)が、記憶をたどって位置の特定を進めるとともに、トンネルに関する情報提供を呼び掛けている。
軍事用トンネルは、身を隠して攻撃する拠点として、昭和19年のサイパンや同20年の沖縄での米軍との交戦に一定の効果があったとして各地に広まった。
県内でも同年、磯の浦や和歌浦付近からの米軍上陸を想定した対策として、トンネルを掘ることが命じられたという。野村さんは当時、県立和歌山商業学校(現・和歌山商業高校)を卒業し、陸軍の幹部候補生として、春から幹部教育を受ける予定だったが、動員がかかったためトンネル掘削作業に参加した。
野村さんの記憶によると、兵舎となった貴志小学校で寝起きし、南海線を毎日越えて作業場まで向かった。作業に関わった人員は1000人近く。作業は人力で、つるはしで掘り進め、岩盤に当たった場合にはダイナマイトで爆破した。
トンネルは複数掘られたとみられ、野村さんは上官から、そのうちの一つが大阪とつながったと聞いた。トンネル貫通を受けて、7月10日には祝賀会が開かれる予定だったが、9日夜からの和歌山大空襲により中止となり、開かれることはなかったという。
終戦から長い年月が経過し、野村さんは当時のトンネルを捜そうと、山に入ったり、情報提供を呼び掛けたりしてきたが、トンネル発見には至っていない。
野村さんは「悲惨な戦争を後世に伝えるため、当時のトンネルを発見したい」と思いを語る。
情報提供は野村さん(℡073・433・1135)へ。

記事元: わかやま新報 ※掲載記事内容は記事提供元で過去に掲載された内容になります。

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