郭家住宅の保存求め 30日文書調査の報告会

郭家住宅の重厚な洋館の前で西山さん

明治初期に病院兼住宅として建てられた和歌山市今福の郭家(かくけ)住宅で、新たに見つかった約650点の文書類の解明が進み、洋館新築時の様子や、西洋医学をめぐる当時の動きが明らかになりつつある。建築から140年。建物の老朽化が進む中、保存活動をする同市の建築史家・西山修司さん(66)は「文化財としての建造物の価値を高める大きな発見。何とか建物を残していくため、保存と活用の機運を高めたい」と話している。中間報告として30日、今福地区会館で研究グループによる報告会を開く。

郭家住宅は明治10年(1877)、代々紀州藩の御典医だった郭家の七代百輔氏が建設。敷地内には、木造2階建ての洋館、平屋の診療棟、数奇屋造りの主屋棟がある。洋館2階には、コロニアルスタイルのベランダを設け、主屋は陸奥宗光の生家の一部を移築したと伝わる。これら7棟は平成9年に国の登録有形文化財になった。

しかし近年は老朽化が深刻となり、建築史学会がことし5月、県と市に保存要望書を提出し、指定文化財への格上げを含めた保全を求めている。

膨大な資料は、郭家の蔵から見つかった。県文化遺産課に勤めていた西山さんは、6年ほど前に、昨年亡くなった百輔氏のひ孫・幸子さんから相談を受け、古文書の調査に取り掛かった。

内訳は百輔氏の経歴に関するものが約30点、百輔氏が創設に関わったとされる「和歌山医学校兼小病院」の関係資料約80点、近世の文書類約430点など、計650点に上る。

西山さんは専門とする近代建築分野を担当。建築に関わった大工や建具職人の名前が記され、洋館の完成年月日が明らかになった。さらに、日誌にはペン塗師(ペンキ職人)が木目塗りを施した記述が残り、書かれた建具類の数も現状に一致。現存する建具類は完成当時のものであることが分かった。

大工は神戸から呼んだと伝わっており、名前が分かったことで今後、他の洋風建築との関連解明も期待されるという。

その他、和歌山の近代医療において重要な「和歌山医学校兼小病院」設立に関する史料もあった。同校は明治7年に現在市役所のある七番丁に開設。和歌山の西洋医学の普及に大きく貢献し、現在は日赤和歌山医療センターに引き継がれている。

開校時の職務内容や教員数の草案、投薬記、県外病院からの外国人医師の推薦状などが見つかり、医学分野の文書解読を担当する和歌山市立博物館の高橋克伸学芸員(62)は「解明はまだまだこれからですが、郭氏が近代医療を積極的に推し進めていたことが断片的に見えてくる」と話す。

現存する明治初期の近代建築はほとんどが公共施設で、郭家のような個人住宅は全国的にも珍しいという。しかし現在、建物は壁のひび割れや塗装のはがれが目立ち、老朽化が深刻。所有する11代当主の一彦さん(70)は「貴重な建物だと評価してもらい、二度と建てられるものではないので残していきたいが、維持管理が大変」ともらす。

西山さんは「個人で負担するには限界がある。和歌山の文明開化を象徴し、十分まちの顔になり得る建物。これほど貴重なものは、市の宝としてこの土地に残してほしい」と切実に訴える。

報告会「新発見 郭家文書からわかること」は30日午後2時から、今福地区会館で。和歌山大学の藤本清二郎名誉教授が「郭家文書の概要」、高橋学芸員が「郭家 紀州藩御典医から近代の医師へ」、西山さんが「新築時の郭家洋館」をテーマに話す。

無料。問い合わせは西山さん(℡090・1983・1366)。

記事元: わかやま新報 ※掲載記事内容は記事提供元で過去に掲載された内容になります。

この記事が気に入ったら「いいね!」してね