吉宗の偉大な功績。世界かんがい施設遺産に登録、今なお息づく小田井用水路

出典: 出典:農林水産省Webサイト

世界かんがい施設遺産として登録された小田井用水路。1707年、当時の将軍吉宗の命で紀州藩の財政を立て直すため、新田の開発のための施策として整備された灌漑(かんがい)用水路です。今でも現存する用水路として歴史的価値も高く、大変注目されています。

現在もなお潤し続ける先人の技

龍之渡井

龍之渡井は和歌山県北部、紀の川市にあり、現在も小田井用水の一施設として利用されています。

龍之渡井1

小田井用水は、和歌山県北部に位置し、紀の川右岸の河岸段丘に広がる水田地帯を潤しています。この用水は宝永4(1707)年、紀州藩主である徳川吉宗の命令を受けた大畑才蔵により開削されました。開削の際に一番苦心した工事が穴伏川の谷を渡る龍之渡井でした。

龍之渡井2

龍之渡井は、当時18m余りある川幅を両岸の岩盤を利用して支え、中間に1本の支柱も使わずに通した木製の掛樋(水路橋)でしたが、大雨による被害を受けることが多く、大正8(1919)年、レンガ・石張り造に改修されました。改修された龍之渡井は、充腹アーチ橋で、橋長が20.5m、橋幅が5.3m、水路幅が3.7mあります。手すりを取り付けている以外は完成時の姿を保っており、平成18年3月に小田井用水の3施設(木積川渡井(こずみがわとい)・小庭谷川渡井(こにわだにがわとい)・中谷川(なかたにがわ)水門)とともに和歌山県内の土木構造物では初めて登録有形文化財に登録されました。
出典: 出典:農林水産省Webサイト(http://www.maff.go.jp/j/nousin/sekkei/museum/m_bunka/yuukei7/)

 

川の上を横断するために設置された水路橋

木積川渡井

小庭谷1

木積川渡井は、小田井用水の開削時に岩出市東坂本・紀の川市西三谷の境に流れる木積川と交差する際、川の上を横断するために設置された水路橋です。

小庭谷2

当時、木製であった水路橋は、大雨による被害を受けることが多く、大正2(1913)年、レンガ造に改修されました。充腹アーチ橋で、橋長が6m、橋幅が3.8m、水路幅が1.8mあります。現在もほぼ完成時の姿を保っており、平成18年3月に小田井用水の3施設(龍之渡井(たつのとい)・小庭谷川渡井(こにわだにがわとい)・中谷川(なかたにがわ)水門)とともに和歌山県内の土木構造物では初めて登録有形文化財に登録されました。
出典: 出典:農林水産省Webサイト(http://www.maff.go.jp/j/nousin/sekkei/museum/m_bunka/yuukei8/index.html)

小庭谷川渡井

小庭谷川渡井は、小田井用水の開削時に伊都郡かつらぎ町笠田東に流れる堂田川と交差する際、川の上を横断するために設置された水路橋です。
出典: 出典:農林水産省Webサイト(http://www.maff.go.jp/j/nousin/sekkei/museum/m_bunka/yuukei9/index.html)

紀州藩に貢献
江戸時代の技術者

大畑才蔵

橋本市学文路にある大畑才蔵の生誕の碑


出典:水土里ネット紀の川連合

才蔵は、幼い頃から非凡であった。それには、高野参詣の宿所として栄え、大坂や奈良からの人の往来が盛んであり、当時の算数の手本とされた『格致算書』(柴村盛之著)、『因帰算歌』(今村知商著)なども手に入れやすく学問を行う良い環境に育ったことがあった。~中略~寛文9年(1669年) 伏原村(現・橋本市高野口町)才右衛門とともに高野山内聞役を命じられた。才蔵は、後に紀州流[注釈 1]を開発し、既にすぐれた測量技術や土木工法を習得していた。
出典:wikipedia

いかがでしたでしょうか。
先人から受け継がれてきた大切な遺産を、これからも皆さんで守って行きましょう。

※本文中の情報は引用元の情報に基づきます。実際に訪れる際には、事前に確認することをお勧めいたします

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