2020年08月28日 19:30
「吾輩は猫である」「坊ちゃん」「こころ」など、数々の小説を生み出し、日本の紙幣にもなった文豪・夏目漱石。人間の生き方を追い求めた思想家としての一面も持ち、各所で講演を行いました。明治44年には、和歌山を訪れ2日間滞在。そのときの様子を小説にも描いています。そのゆかりの地を巡る、文豪・漱石の旅へ出かけてみませんか。
夏目漱石
小説家。東京生。名は金之助。高師・中学教師を経て英国留学後、一高教授・東大講師として英文学を教える。高浜虚子の勧めで写生文を手がけ、『吾輩は猫である』を手始めに多彩な創作活動を展開した。代表作に『三四郎』『それから』『門』『こゝろ』、遺作の『明暗』など多数の著がある。俳句は約三千句をなし、また晩年気品のある文人画を描く。作品の追求した問題は広く深く、日本の巨匠として世界に広く紹介されている。大正5年(1916)歿、50才。
夏目漱石といえば、和歌山市で講演を行い、和歌浦周辺を観光したことで有名です。
明治44年8月、漱石は、大阪朝日新聞主催の講演会のため、和歌浦に滞在し、和歌山市で講演を行いました。
大阪からは、南海鉄道で和歌山へ来ています。
当時、大阪から和歌山へ来るには、明治36年に開通した難波ー和歌山(現和歌山市駅)の南海鉄道だけしかなかったようです。
重要文化財旧和歌山県会議事堂
和歌山城の東側に明治31年(1898)に建設された和歌山県会(現県議会)の議事堂です。平成24~27年度の保存整備事業で、建築当初の姿に復原されました。現存する唯一の和風意匠の府県会議事堂で、平成29年7月31日に国の重要文化財に指定されました。
議場をコ字形に取り巻く土間廊下は、文字通り土間叩き仕上げで、建具などを設けず吹き放しとした外部空間である。このため本館から議員が議場に入るときは、いったん外部に出てから入ることになる。このような吹き放しの廊下は、明治時代の官庁建築でよく見られたもので、時代の特徴が現れている。
名作「こころ」に繋がるとされている長編小説「行人(こうじん)」。登場する和歌山の名所を実際に巡って、小説の世界をじっくり味わいましょう。
台風前夜ということで夏目漱石の『行人』を思い出してる。和歌山で遭遇する台風の一夜なパートは漱石作品の中でも…かなりエキサイティングなサスペンス的な心理描写! pic.twitter.com/1sp04Ku9Op
— アンドリュ~星野 (@Susumu_SaKamori) October 11, 2019
漱石は231段の石段を息を切らしながら上り、境内にあるベンチに腰を掛け夕暮れの和歌の浦湾を眺めたといいます。
明治44年、夏目漱石が和歌山に講演に来た際立ち寄った、和歌山市は和歌浦の奠供山(てんぐやま)に行って来ました(家のすぐ近くです)。
玉津島神社の横の石段を登れば漱石も見たであろう和歌浦を一望出来ます。その時の事が『行人』に出てきます。涼しさや蚊帳の中より和歌の浦(漱石)#夏目漱石 pic.twitter.com/4tMWpgpbeS
— 見果てぬ夢@読書垢 (@TenToSenToTen) September 8, 2019
標高約34mの奠供山にはかつて、日本初となる屋外展望エレベーターが設置されていました。1910年(明治43年)、旅館「望海楼」が建設したもので、文豪・夏目漱石も1911年(明治44年)に、和歌の浦に観光に訪れた際にこのエレベーターに乗り、「浅草にもまだない新しさ」と絶賛しています。
8月14日の日記には「九時五十二分の汽車で和歌山に行くことにする。和歌山からすぐ電車で和歌の浦に着。あしべやの別荘には菊池総長がいるので、望海楼というのにとまる。晩がた裏のエレベーターに上る。東洋第一海抜二百尺とある。岩山のいただきに茶店あり猿が二匹いる。キリという宿の仲居が一所にくる。裏へ下り玉津島明神の傍から電車に乗って紀三井寺に参詣。牧氏と余は石段に降参す、薄暮の景色を見る。晩に白い蚊帳を釣り明け放して寝る。それでも寝苦しい。朝起」と書いています。
明治43年(1910)に旅館「望海楼」によって建設された日本初の屋外用エレベーター。標高約30mの奠供山に上り、和歌の浦が一望できました。当時の観光用絵ハガキにも数多くその写真が使われています。漱石は小説『行人』の中でもエレベーターに乗った際の様子を描いています。
夏目漱石も利用した、日本初の屋外エレベーター地図
小説『行人』の中で「手摺りの所へ来て隣に見える東洋第一エレベーターと云う看板を眺めていた。此昇降器は普通のように家の下層から上層に通じているのとは違って地面から岩山の頂きまで引き上げる仕掛けであった。」と漱石は描いた。往時の名残を感じさせる、アンカーボルトの跡が今も奠供山の頂上部分に残っている。
奠供山の頂上からも望める片男波の美しい砂浜。漱石は、和歌山講演の際に片男波へも立ち寄り、小説『行人』の中で「夫(それ)から片男波を見る。稀らしく大きな波が堤を越えてくる。」と述べています。今も夏は海水浴場として多くの人が訪れ、近くには「万葉館」や「健康館」を併設した「片男波公園」があります。
漱石の見た景色を実際に見てみると、小説のイメージがより鮮明に見える気がしますよね。その歩みに触ることで、より物語の世界が楽しめるはずです!
【geek】
和歌山県出身在住でありながら、知らないこともまだまだあるので、新たな発見をたくさ
んの人と共有したいです。
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