有田川流域の納豆食文化を調査 りら高校

聞き取り調査の内容を発表し合い、情報を共有する生徒ら

りら創造芸術高校(紀美野町真国宮、山上範子校長)の生徒は、和歌山大学、高野山大学と共同で、有田川流域(旧清水町、旧花園村)の納豆の食文化調査を行っている。地域の歴史や文化の魅力を見いだす授業「地域デザイン」を選択する生徒らが、昨年度に発表した「真国宮流域の納豆研究論文」の中で有田川流域に納豆の食文化があったのではないかと推測していたことから、今回、住民に聞き取り調査をすることが決まった。

総務省の平成22年度家計調査で、和歌山県は納豆の消費量が全国ワースト1位だったことを受けて、同校は2年前から真国宮流域での納豆文化を調査。高野山大学文学部の森本一彦准教授らの助言を受けながら進め、その結果、塩で味付けする共通点から、納豆を食べる文化が京都から伝わったこと、直径約8㌔㍍の限られた地域で食べられていたことなど興味深い内容が浮かび上がった。

昨年度の成果発表では、有田川町杉野原地区の伝統芸能「御田(おんた)」のせりふで、江戸時代に記された一節の中に「一に味噌 二に納豆 三に平餅」と納豆についての記述があることに言及していた。

今回の聞き取り調査は8月22、23日に実施。同校生徒5人をはじめ、2年前に調査を始めた同校OGの小野田円香さん(18)や森本准教授、歴史・文化を研究する和歌山大観光学部の学生、同大教育学部の海津一朗教授ら両日で約30人が参加した。

2班に分かれ、沼谷地区、杉野原地区などを調査。杉野原地区の「御田」に詳しい住民を訪ね、現存する貴重な「御田」の台本を見ることができた他、別の住民からは御田のときに食べる料理「御田飯」について教わった。初日は納豆に関する具体的な話を聞くことはできなかったが、「亡くなった押手地区の古老が納豆を作っていた」との情報があり、さらに調査を進めることになった。

押手地区にも伝わっていた「御田」を最後に行ったという古老は「納豆は食べていない」と語ったが、納豆を作っていた女性(85)と出会い、納豆の藁苞(わらづと)の形状などから、真国川流域と共通する納豆食文化があった可能性があるという。

今後、聞き取り調査の内容をまとめ、報告書を作成することにしている。

納豆調査を始めた小野田さん(18)は「ここまで調査が続いていることに驚きました」と話し、「たくさんの方から話を伺うことで、これまでの仮説と違う仮説が立てられるかもしれない。楽しみながら、みんなに調査をしてほしい」と後輩たちに期待を寄せていた

記事元: わかやま新報 ※掲載記事内容は記事提供元で過去に掲載された内容になります。

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