和歌山のフリーマガジン「LiSM(リズム)」の2021年9月号から2024年9月号にわたって連載していた和歌山の鉄道コラム「鉄分薄口(てつぶんうすくち)」(著:東和歌天空)。著者から入稿された文章のまま、前編・中編・後編の3回にわたって掲載します。まずは前編!
※文章・写真は掲載時のもので現状と合わない場合があります
※安全に留意し、他のお客さんに迷惑にならないよう撮影しています
目次
- 1 【第1回】目的地に行くだけじゃない電車に乗ることが楽しみ
- 2 【第2回】鉄道東西問題解決!? 現実的には難しいか
- 3 【第3回】大正時代から頑張る元・鉄道橋
- 4 【第4回】和歌山市の“はしっこ駅”へ
- 5 【第5回】チンチン電車の昔話を聞き書き
- 6 【第6回】チンチン電車が和歌山に復活!という妄想
- 7 【第7回】哀愁漂う廃線跡・ホーム跡
- 8 【第8回】2031年春「特急サザン大阪行きが発車いたします」
- 9 【第9回】特急くろしおで大阪駅まで1時間以内!?
- 10 【第10回】阪神ファンと海南・野上の住民に愛された車両
- 11 【第11回】加太駅で110年前にループしてみる?
- 12 【第12回】幻の加太線を探しに路地へ…
【第1回】
目的地に行くだけじゃない
電車に乗ることが楽しみ
「電車好きやろ。鉄道のコラム、ヨロシク」って無茶ですわ。世間には鉄道マニア“鉄ちゃん”が一杯おり、濃い~話が載っています。よって僕なりに「薄口」なら。
目的地まで人を大量に運ぶ鉄道。しかし近年、移動手段よりも、乗る楽しみを提供する考えにシフト中。地方では赤字に苦しみ、乗客獲得を目指して工夫を凝らしています。和歌山で先駆者は「わかやま電鐵」。元は南海高野線で走っていた車両を改装し、話題を間断なく提供中。他社もユニーク電車がお目見えし、目が離せませんね。
(2021年9月号)
【第2回】
鉄道東西問題解決!?
現実的には難しいか
和歌山駅と和歌山市駅の両ターミナルの中間駅になる紀和駅は、ひっそり佇む無人駅。1968年まで「和歌山駅」と名乗っていた面影はなく、周辺は公園になっています。
東西の拠点を結ぶ市街地の路線なのに、紀和駅には朝夕を除き1時間に1本の割合しか電車が来ません。「貴志川線を市駅まで乗り入れよう」との話を聞いたことはありますが、採算ベースや運行管理システムの問題など、実現には遠いようですね。東西の拠点を密に結べば、鉄道の存在が街を変える起爆剤になるはず!と妄想中。
(2021年10月号)
【第3回】
大正時代から頑張る元・鉄道橋
水管橋が落ちただと! 日本でこんなことが起こるとは…。
和歌山市駅裏手の土手と北島を結ぶ、二輪車と歩行者専用橋の「河西橋」。1914(大正3)年、加太軽便鉄道の橋として架けられました。当時の名前は紀ノ川橋梁。蒸気機関車が加太に向けてのんびりと走っていたのでしょう。
1953(昭和28)年のジェーン台風で橋脚の1基が損傷し(写真の左から3つ目は今も傾く)、列車の運行は休止に。和歌山市に譲渡され、二度と列車が走ることは無くなりました。
架橋から100年以上経過する河西橋に並ぶように、新しい橋が建設中(2025年度供給予定)。老朽化による事故が発生する前の最善策。ノスタルジーな感情だけでは保存はできません。
廃橋になる前に、在りし日の加太線を散策するのもオツなもの。ネットでいろんな資料に目を通すと、北島駅、島橋駅を経由して、今の東松江駅に至るようです。一部不明な場所もあるけれど、なんとか辿り着きます。廃線跡が民家に沿うように続くので、写真を撮るのは自粛しておきますね。
(2021年11月号)
【第4回】
和歌山市の“はしっこ駅”へ
10月某日曜日、和歌山駅12:41発の和歌山市行き普通車に乗る僕。鉄道利用だけで和歌山市内の“はしっこ駅”まで旅したいと思って。12:47に到着して南海本線に乗り換え、12:52発の普通車に。和歌山大学前駅12:59着。和歌山市の北端駅到達!
改札を出入りし13:18発の普通車で紀ノ川駅13:21着。加太線13:29発に乗り、加太駅13:51着。西端駅到達!
改札を出入りし13:58発に乗り、14:22和歌山市駅着。キーノでちょい一服後、15:07発のJRに乗り、和歌山駅着が15:14。きのくに線15:28発に乗車し、紀三井寺駅15:28着。南端駅到達!
紀三井寺駅のホームで和歌山行きとすれ違うので約30分待機。16:00発で16:07和歌山駅着。7番線ホームから16:20発で紀伊小倉駅16:37着。東端駅到達!
紀伊小倉駅16:52発の電車に乗って、和歌山駅17:05に戻ってきた。4時間24分の電車旅(運賃1820円)。あ~楽しかった!! 皆さんにはおすすめしませんけど。
※運賃・時間は2021年10月のもの
(2021年12月号)
【第5回】
チンチン電車の昔話を聞き書き
1971年に廃止された、和歌山のチンチン電車。実際に乗った人は50代半ば以上で、「わしゃ乗ったことがある!」という某おっちゃん(以下、お)から昔話を聞きました。
お「南海和歌山市駅、国鉄和歌山駅、新和歌浦、海南駅前を結んでいた路面電車で、交通渋滞の原因であると酷評された。特に堀止〜高松間はひどく、車は動かん状態」
僕「そこって片道3車線の広い道路よね」
お「メッサオークワ高松店の前の道のことか?堀止から南側は西本カメラ(閉店)の方に行く道しかなく、バスは今もそっちを通るし、この前まで車庫前の停留所名だった」
僕「何で堀止から真っすぐ高松へバスが行かんのかなって思ってました」
お「本町も凄かった。丸正(フォルテワジマ)前にチンチン電車が止まって、降りたお客さんのそばを車が通り抜けて」
僕「おっちゃんスマンが喋り過ぎで誌面が無くなった。続きは来月!」
写真は、和歌山市民図書館に展示されてた模型(撮影は11月ごろ)。
(2022年1月号)
【第6回】
チンチン電車が和歌山に復活!という妄想
写真は岡公園に佇むチンチン電車。1972年に廃止後、その多くは処分され、海に沈められて魚の寝床にもなった車両もあるそうです。もしもチンチン電車が今も残っていたら和歌山市は今、どんな街になっていたのでしょうか。
さて、人口50万人の宇都宮市では2023年に次世代型のチンチン電車(LRT)が開通します。そこで、妄想。和歌山にLRTが走るのなら…。路線は、和歌山駅前から、けやき大通りを西に走って、和歌山城と市役所の前を通り、西汀丁を右折して、和歌山市駅前へ。東西のターミナル駅が結ばれ、観光客をお城に運ぶし、そこそこ需要が見込めるかな? 採算や車庫の場所などシビアな問題は山積ですが。
でも高齢化時代には、日赤や医大の前も通したいし、観光をいうなら和歌浦も紀三井寺も捨てがたい。昭和に廃止されたチンチン電車は、これらを結んでいました。街にとって、無くてはならない骨組みやったんやな。先人は偉い!
(2022年2月号)
【第7回】
哀愁漂う廃線跡・ホーム跡
昭和に役割を終えた鉄道のホームが、今も残る紀伊中ノ島駅。今月は昭和特集だそうで、このコーナーも合わせようと、現場へ。
開業したのは1932(昭和7)年。3年後には、国鉄和歌山線とそれをまたぐ阪和電気鉄道の接続駅になりました。当時の和歌山線は、田井ノ瀬駅の次は和歌山駅(当時・東和歌山駅)ではなく、紀和駅(当時・和歌山駅)で、さらに和歌山市駅に伸びていました。つまり、岩出方面からの乗客は、天王寺駅や東和歌山駅に行きたい場合、紀伊中ノ島駅が乗り換えポイント。さぞや賑わっていたはずです。時代は流れ1974(昭和49)年、和歌山線を走るすべての列車は和歌山駅の発着となり、紀伊中ノ島駅の和歌山線ホームは廃止、以後、阪和線だけの駅となっています。
駅舎はヨーロピアン・モダニズムを取り入れた昭和の名建築。ほぉーと見上げてしまいます。そのまま真っ直ぐ10歩ほど進めば、和歌山線のホーム跡へ。岩出方面へ向かう人は、この場所で蒸気機関車を待っていたのでしょうね。その風景こそが昭和浪漫。
(2022年3月号)
【第8回】
2031年春
「特急サザン大阪行きが発車いたします」
和歌山市駅にて…「4番線に到着の電車は、13時発、特急サザン大阪行きです。途中停車駅は、みさき公園、尾崎、泉佐野、岸和田、堺、天下茶屋、新今宮、新難波、西本町、中之島です。難波へお越しの方は、新今宮でお乗り換えください」というアナウンスが、2031年春から聞けることになりそうです(停車駅は仮)。
大阪市内の南北を通す新しい地下鉄「なにわ筋線」が開通すると、南海電車が新今宮より乗り入れます。JR阪和線からは、天王寺→新今宮→JR難波を経由して「なにわ筋線」に入ります。大阪・梅田エリアから関西国際空港へのアクセスを強化する新線として建設される「なにわ筋線」。梅田から見れば関空の先である和歌山まで何本の直通電車を走らせるか不明ですが、和歌山人にとっては梅田に行くにはすごく便利になりますね。
なお、鉄道マニアの間では、今の難波駅の北西あたり地下約40mのところに建設される新難波駅を目がけて、高架の新今宮駅から南海電車が急勾配を下る様子を早く見たい!と話題になっています。どんな乗り心地だろ?
(2022年5月号)※2022年4月号はコラム休み
【第9回】
特急くろしおで大阪駅まで1時間以内!?
先月号で「特急サザン大阪行きが発車いたします」と紹介しましたが、これは「地下鉄なにわ筋線」が開通する2031年の話。まだまだ先のことですので、今回は近々のトピックを。
JR大阪駅に隣接する「うめきた2期エリア」の地下に、JR大阪駅地下ホームが来年の3月に開業する予定です。現在、特急くろしおは阪和線から大阪環状線に入り、大阪駅は通らずに新大阪駅・京都駅へ運行していますが、大阪駅地下ホームが完成すれば、こちらに停車します。
和歌山駅から大阪駅まで、紀州路快速で約1時間半かかっているところ、来春からは特急くろしおに乗れば1時間以内に到着しそうです(特急券必要…汗)。
大阪駅地下ホームは、既存ホームの北西側に位置し、改札内連絡通路で結ばれます。地図で見ると、なかなかの距離。
さて、建設中の「うめきた2期エリア」は、オフィス、高層マンション、商業施設、ホテル、広大な公園などから構成される次世代都市。完成は2024年の予定。ヘタに交通の便が良くなると、ますます和歌山から人・モノ・興味が吸い取られそう。未来の和歌山が心配やね…。
(2022年6月号)
【第10回】
阪神ファンと
海南・野上の住民に愛された車両
海南市と野上町(現在の紀美野町)を結ぶ野上電鉄という路線があったのはご存じですか? 1916(大正5)年に日方駅と紀伊野上駅の間で開業し、後に登山口駅まで延伸しています。住民の足として欠かせない存在でしたが、車社会の進展で乗客が減り、1994(平成6)年に廃止。線路跡は一部、遊歩道やサイクリングロードになっています。
「くすの木公園」(紀美野町下佐々)には、野上電鉄の車両が保存されています。製造は1934(昭和9)年で、阪神電車として約30年走った後、野上電鉄に譲渡。以来廃線まで都合約60年間がんばり続けました。人間でいえば還暦で現役を引退して現在88歳、ひっそり隠居生活を送っている感じですね。 またこの車両は、一般の運行の他に、阪神電車名物であるジェットカー(高加速・高減速)を開発するため、運行中のデータ収集の役目も任されたそうです。
昭和の熱狂的な阪神ファンを運んだ電車が今、紀美野町にあるなんて、ロマンを感じるお話ですけど、タイガースもっとがんばれ!(なんそれ)
(2022年7月号)
【第11回】
加太駅で110年前にループしてみる?
加太駅の開業は1912(明治45)年6月16日ですから110歳。現存する駅舎は開業時のものというから驚きです。「ハイカラな洋風建築やいしょ」と当時は言われたのかな? ホームの上屋を支える柱には「ドイツ製のレールを加工してできています」との表示があり、「GH H 1911」の印字から推測すると、開業前年に購入したレールを後年、屋根の柱として再利用したようですね。
当時の名称は加太軽便鉄道。加太駅と和歌山口駅の間を蒸気機関車が走っていました。この和歌山口駅は紀の川北岸にあり、1914(大正3)年に紀の川を渡る橋(現・河西橋)ができると、和歌山市駅北側に2代目・和歌山口駅が開業(初代は北島駅に改称)し、加太から和歌山市街地まで通じたのです。
現在の加太線は紀ノ川駅を経由していますが、昔は違いました。その話は来月号にするとして、現在の加太駅へ。駅前には、めでたいでんしゃの記念撮影看板があります。細い路地が入り組んだ加太を散策するには、徒歩がおすすめ。めっちゃ暑いですけど。
(2022年8月号)
【第12回】
幻の加太線を探しに路地へ…
写真は、旧国道26号線の島橋北交差点に架かる歩道橋から北を向いて撮影したもの(くら寿司の看板、わかる?)。左斜め上の方に走る路地は、加太線跡なんです。
先月号で書いたとおり、1912年に加太駅と和歌山口駅(紀の川北岸)間で開通した加太線は、1914年に今の河西橋を渡って和歌山市駅北側の2代目・和歌山口駅まで延伸されました(初代は北島駅に改称)。
現在の加太線は、紀ノ川駅~東松江駅を通っていますが、これは南海本線から住友金属への貨物線として敷設されたもの。やがて旅客線と兼用になり、今の経路と河西橋経由の2種類の旅客線が運行されたのです。ところが、1950年の台風で河西橋が損傷して電車が通れなくなり、東松江駅と北島駅間だけの「南海北島支線」が生き残りましたが、国道26号線の建設によって1966年、完全に廃止されました。
という歴史を知ると、なにげない路地に、ロマンを感じるのは僕だけ?
(2022年9月号)
Writing:東和歌 天空(ひがしわか てんくう)
乗り鉄でも撮り鉄でもなく、時刻表を眺めての妄想が極上。
【中編】へつづく coming soon
株式会社 和歌山リビング新聞社 編集部