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「和歌山」の名前の由来、知ってます?

公開日 2023.11.17

さて、問題です。アナタは「和歌山」の名前の由来をご存知ですか? 「考えたこともないですね」という人が大半でしょう。今回、その答えを発表しましょう。和歌山県民の方も、そうでない方も、ぜひご覧ください。

語源は「和歌の浦」?

万葉集の代表歌人・山部赤人に「若の浦に 潮満ちくれば 潟をなみ 葦辺をさして 鶴鳴きわたる」と詠まれるなど、万葉歌人に愛された和歌の聖地・和歌の浦。奈良時代より前には「弱浜」と記録され、「わかのはま」と呼ばれていました。

聖武天皇像(出典:Wikipedia)

724(神亀元)年、この地を行幸した聖武天皇は、玉のように美しく島々が連なる美しい眺望に感動。「弱浜(わかのはま)」の名を「明光浦(あかのうら)」と改め、大切に保存するようにとの詔(みことのり)を出しました。この行幸に従っていた万葉歌人の山部赤人は、明光浦の情景を讃え、上記の歌を詠んだのです。

後年、平安時代の歌人・紀貫之が、山部赤人の歌を『古今和歌集』に載せたことを契機に、この地が和歌の聖地として崇められ、”和歌の神”が祀られました。そして「和歌の浦」と呼ばれるようになったのです。

豊臣秀吉が城を築く

豊臣秀吉画像(佐賀県立名護屋城博物館所蔵)

時は流れ、戦国時代。1585(天正13)年、豊臣秀吉は紀州侵攻を行って制圧。平定後は弟の豊臣秀長に紀伊一国を与え、中心部の「岡山(虎伏山)」に新たな城を築きました。

歴史学者の小山譽城さん(和歌山市在住)は、「天正13年7月2日付けの、豊臣秀吉が遠山基信に宛てた書状の中に『紀州和歌山に拙弟秀長置き候』との文言があります。これが、現在確認できる“和歌山”という文字の初見ですね」と解説。豊臣秀吉は、古代から名勝地として名高い和歌の浦をイメージして、“和歌山”と記したのではないか…と、小山さんは推測します。

江戸時代になると、「和歌山」と「若山」の両方の表記が見られます。1871(明治4)年、廃藩置県により「和歌山県」が誕生。同年11月22日に、和歌山県、田辺県、新宮県と、五條県の旧高野山領が統合され、今の和歌山県になりました。

余談ですが、和歌山市にあった髙島屋和歌山店では、問屋やメーカーに電話注文をする際、「髙島屋和歌山店」と「髙島屋岡山店」が間違われることが多々あったので、「みかんの方の髙島屋です」と電話していました。岡山店は「桃の…」と言っていたようです。

※参考文献
「和歌山県政史第1巻」(和歌山県政史編さん委員会・編)
「和歌山県謎解き散歩」(小山譽城・著)
※諸説ある中から、有力な一説を紹介しました