和歌山城だけじゃない!?和歌山県にあったお城まとめ

出典:Walker

和歌山県には「和歌山城」だけでなく数多くのお城が存在していたことをご存知でしたか?今はもうお城の形はないけれど石垣など今も残るお城跡をご紹介。一つ一つ考えて造られた歴史を感じるお城跡を見に行ってみては!?

真田幸村父子の屋敷跡に建てられたお寺

真田屋敷「善名称院」(ぜんみょうしょういん)

2016年1月より放送が開始され、人気を集めた「NHK大河ドラマ・真田幸村」その真田幸村(信繁)が関ヶ原の戦いの後から約10年あまり過ごした草庵があった場所と伝承されている場所こそが「善名称院」と言われており、和歌山県を代表する観光スポット。
善名称院の境内には「真田宝物資料館」があり真田幸村(信繁)が所持していた槍や甲冑、刀、肖像画、書状、その他父(昌幸)と共に生計を立てるために作った「真田紐」などが展示されています。

真田屋敷「善名称院」

真田屋敷「善名称院」(出典:九度山)

真田宝物資料館

真田宝物資料館(出典:真田家の館)

◆基本情報
住所:和歌山県伊都郡九度山町九度山1413真田庵
アクセス:南海電鉄高野線、九度山駅から徒歩約10分
営業時間:9時~16時まで
料金:大人200円(真田宝物資料館の入場料金)
駐車場:町営観光用無料駐車場を利用できます。

日本三大水攻めのひとつ

紀伊 太田城(おおたじょう)

戦国時代の羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)による「太田城水攻」で有名。秀吉の紀伊侵攻に1585年(天正13)、秀吉の紀伊侵攻に抵抗した太田党と根来・雑賀衆の残党ら合わせて約5000人が太田城に立てこもった。秀吉軍は紀伊太田城を取り囲む総延長5~6kmにも及ぶ堤防を築き、水攻めを行った。籠城1ヵ月後、城主太田左近宗正ら太田一族は自刃し、開城した。現在、太田城水攻めの堤防跡が一部残っている。城内の遺構は残っていないが、現在の来迎(らいごう)寺境内が本丸跡と伝えられ、城跡碑が建っている。 (出典:コトバンク)

◆基本情報
住所:和歌山県和歌山市太田
アクセス:JR阪和線和歌山駅または南海電鉄南海本線和歌山市駅から徒歩5分
築主:太田氏

今もなお残る石垣

紀伊 新宮城

別名、丹鶴城・沖見城とも呼ばれ、関ヶ原合戦の後、和歌山城の主となった浅野幸長の家臣・浅野忠吉が新宮領を与えられて慶長(1601年)に築城を開始したお城。1615年に一国一城令でいったん廃城となるが、1633年水野重仲は忠吉の築城工事を継続し城は完成。明治の廃藩置県により廃城となるまで、紀州藩新宮領支配の中枢として機能した。現在は天守台と石垣が残されており、周囲は丹鶴城公園として整備されている。春には花見客などで賑わいます。

新宮城

模擬大手門 (出典:Wikiwand)

新宮城 新宮城
(出典:お城めぐるFAN)

◆基本情報
住所:和歌山県新宮市新宮字丹鶴7688-2
アクセス:JR紀勢線「新宮駅」下車、徒歩10分。新宮駅から徒歩10分ほどの距離
築主:浅野幸長(1601年)/水野重仲(1633年)
駐車場:無料駐車場あり
入城:24時間入城無料

市民の憩いの場

紀伊 田辺城

田辺城は錦水城(きんすいじょう)ともいわれ、浅野氏が会津川河口左岸に湊城を築いたあとに、元和5年(1619年)安藤直次が田辺藩主になってから築城 した平城で内堀と外堀が掘られていました。明治初年に廃城となり城郭は解体され、その後堀も埋められました。今では、会津川に面した水門跡がわずかに昔の 面影を残しています。また、町割りは外敵の侵入を遅らせるため全てT字路で交わるように計画されました。
現在、水門は公園として、市民の憩いの場となっています。 (出典:田辺探訪)

紀伊田辺城

櫓風ディスプレイに収まっている鯱瓦 (出典:城の写真ライブラリー)

◆基本情報
住所:和歌山県田辺市上屋敷3
アクセス:JR紀勢本線、紀伊田辺駅下車、徒歩30分。または、紀伊田辺駅からバス「大橋」降車、徒歩5分。JR紀伊田辺駅にレンタルサイクル有り。
築主:浅野知近/安藤氏
駐車場:田辺城水門跡の公園に数台の駐車スペース有り。

和田氏が築いたお城

紀伊 古和田城

現在の光円寺一帯が古和田城になり、南北朝時代に和田氏によって築かれたと云われる。和田氏は楠木正康の次男親遠の子、和田高遠を祖にするといわれ、河内からこの地に移り、和田をを名乗りましたが、その子の正遠は和泉に移り、岸ノ城(現岸和田城)を築きます。その岸の城が「岸和田」になり、この地を古い和田として「古和田」と呼ぶようになったという。

◆基本情報
住所:和歌山県紀の川市(打田町)古和田689
アクセス:JR和歌山線打田駅~徒歩約15分
駐車場:高円寺の参拝者用の無料駐車場を利用
築主:和田氏

粉河寺を守る

猿岡山城

現在は秋葉山公園として整備され曲輪のみが残されており別名、粉河城とも呼ばれたお城は1573年に根来寺とともに紀ノ川流域に大勢力があった粉河寺が寺院の防衛力をあげるために築いたお城。しかし1585年に豊臣秀吉による紀州征伐の後、藤堂高虎が粉河寺に入城、牽制するため改築をおこなったが、高虎が宇和島に移封された後、廃城となる。粉河寺はすぐ隣にあり一望することができます。

粉河寺 粉河寺
粉河寺中門・本堂(出典:なんとなく城跡巡り)

◆基本情報
住所:和歌山県紀の川市粉河
アクセス:R和歌山線粉河駅~バス/粉河寺または粉河駅から徒歩15分
駐車場:粉河寺山門前の町営・民営有料駐車場を利用できます。
築主:藤堂高虎(1596年)

※本文中の情報は引用元の情報に基づきます。実際に訪れる際には、事前に確認することをお勧めいたします

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