巨人ドラフト4位指名・泉口友汰選手【和歌山県御坊市出身】
大阪桐蔭、青山学院大学、NTT西日本から読売ジャイアンツに入団した泉口友汰選手。小・中学校時代、御坊市の野口少年野球クラブに所属していた和歌山県出身の遊撃手。背番号35、巨人の期待の星にインタビュー。
春夏甲子園連覇の藤浪晋太郎選手に憧れ大阪桐蔭高校へ
小・中学校は野口少年野球クラブ、智辯和歌山ではなく大阪桐蔭へ
―野球を始めたのはいつ? きっかけは?
4歳上の兄が野球をしていて、試合に見に行くたびに早く自分も野球がやりたいと幼稚園のときから言っていたのですが、チームに入れるのは小学生から。卒園と同時に、野口少年野球クラブに入りました。父は剣道をさせたかったようですが…。小学生のころはショートとピッチャーを。今はもう当時のチームがなくて、兄はチームを復活させたいと言っていて、僕も何か手伝えればなと思っています。
―子どもの頃はどんな子でしたか?
手に負えないくらいのやんちゃ坊主(笑)。
―地元の智辯和歌山ではなく、どうして大阪桐蔭に進学を?
地元の智辯への進学も考えてはいたのですが、中学2年生のときだったかな、藤浪普太郎投手の大阪桐蔭が甲子園春夏連覇を果たして、強いな~、カッコいいな~と思っていたら、大阪桐蔭の方から声を掛けていただいて、進学を決めました。
大阪桐蔭の名将・西谷浩一監督は尊敬の師
―尊敬する人として真っ先に名前を挙げられたのが、大阪桐蔭の西谷浩一監督。失礼ながらも強面で厳しそうですが…。
間違ったことをすると叱られますが、叱る理由に「なんでやねん!」て思うような理不尽なことは何一つなくて。普段は冗談も言うし、面白い方ですよ。
―どういうところに尊敬の念を覚えられていますか?
〝現状に満足するな〟〝人間力を磨け〟という言葉は今も深く胸に刻まれています。「何事もやるのは人間の力、だから人間力が大事、結局は中身、人間性を磨きなさい」と。あと、「日常生活の小さなことがすべてに野球につながる」と、野球だけでなく学校生活、寮生活にも厳しい方でしたが、それも、すべて人間力につながるという考えのもと。大阪桐蔭は強豪校ですが、1学年20人、全員で60人の小所帯なのも西谷監督が一人一人を大事にというか、一人一人と向き合って指導したいという方針だからこそ。本当に自分を成長させくれた監督です。
―強豪校ゆえに、部員の関係性は? 選手同士がライバル争いでギスギスしていたとか…。
僕は試合に出させてもらっていたので、そういった感情はありませんでしたが。僕たちは、史上初の2度目の甲子園春夏連覇を達成した最強世代と言われる藤原恭大(千葉ロッテマリーンズ)、根尾昂(中日ドラゴンズ)、柿木蓮(北海道日本ハムファイターズ)、横川凱(読売ジャイアンツ)の1学年上で、本当に弱かったんです。新チームで戦う秋季大会はどうなるんだろうという状況で、だから、監督についていくしかなくて、そして、後輩たちも含め、チームが一つにまとまったからこそ力が発揮でき、甲子園に出場。全国制覇ができました。
プロを意識しはじめたのは青山学院大学時代
野球がもっとうまくなりたい、まだまだできるはず
―プロ野球選手に〝なりたい〟から〝なれる〟に意識が変わったのはいつごろですか?
大学生になってからです。高校卒業時は全然まだまだで。大阪桐蔭時代、周りのすごい選手たちを見てきたので、プロに行くレベルっていうのはわかっていましたからね。
―もっと野球がうまくなりたい、まだまだできるはずと大学に進学。次のステージに青山学院大学を選んだのはどうしてですか?
“実力の東都”“名門の六大学”。関東に行って野球がやりたくて、実力の東都を選びました。当時青学は2部でしたが、プロ野球選手を何人も輩出している名門校。1部に昇格して神宮球場でプレーしたいという思いが強かったです。
走攻守全部をレベルアップして総合力でプロを目指す
―しかし、大学卒業後はプロではなく社会人野球でプレーすることを選択。
はい。やっぱりまだプロのレベルではなくて…。走攻守、僕には突出したものはないけれど、全部を底上げして、2年後にプロを目指そうと。
―守備、打撃、送球、全部のレベルを上げるのは並大抵のことではないのでは?
練習あるのみ。一つ一つ手をぬかずにきっちりこなす。それを続けました。
ー守備と打撃、どちらが好きですか?
守備ですね。いいプレーができたときは気持ちが良くて。もちろんホームランが打てたときが最高に気持ちいいですけど、ホームランってそうそう打てませんからね。
和歌山での思い出、印象に残っていること
和歌山はふるさと、御坊のソウルフード「せち焼き」が好物
―高校進学で和歌山を離れていますが、泉口選手にとって和歌山とは? 思い出の場所やエピソード、お気に入りのご当地フードなども聞かせてください。
自然豊かな和歌山が大好きで、一番自分を成長させてくれた場所。2022年の夏に息抜きで那智の滝を訪れました。次は白浜の円月島に行って、美しい景色を写真に収めたいなと思っています。御坊出身なので…、「せち焼きやました」は小さいころから通っていて、今も帰るたびに食べに行きます。
印象に残っている試合は紀三井寺球場の秋季大会
―これまでの野球人生で印象に残っている試合は?
2016年に紀三井寺球場で開催された秋季近畿大会かな。僕にとっては地元の紀三井寺球場で試合ができたことがすごく思い出に残っていますし、前述したように決して強くはなかった僕らの世代が、準決勝まで勝ち進み、春の甲子園出場が決められて、本当にうれしかったです。
社会人からプロ野球へ、ジャイアンツで即戦力を期待
限りなく可能性が低かったドラフト会議
ードラフト会議の日はどこでどういう風に待機していましたか?
寮で静かに一人で過ごしていました。昨シーズン、チームとして個人としても結果を残せていなくて、指名がかかる可能性は限りなく低かったので、本社(NTT西日本)の方にも待機をなくしてもらって、あえて、テレビもネットも見ずに。そしたら、連絡が来て…。速攻でスーツ着て、事務所に駆け付けました。喜びよりも驚きの方が大きかったですね。指名を受けた瞬間、LINEが300通くらい来ました(笑)。
いよいよプロ生活がスタート、楽しみと不安
―1月10日から自主トレーニングがスタート。これから始まるプロ生活は楽しみと不安、どちらが大きいですか?
不安が9割。プロの世界で野球ができることに対してはすごく楽しみですが、また一から人間関係を構築していくことに対しての不安かな。環境が変わりますからね。でも、新たな出会いが自分にプラスになると思って、前に進んでいきます。
―安定した守備、コンスタントに打てる打撃に長打力が評価され、即戦力として期待されています。抱負を聞かせてください。
内野手ながら長打を打てるというところを評価していただいているので、長打を打てる確率を上げてがんばりたい。守備はチャンスがもらえるなら、どこのポジションでもチャンレンジして、家族に球場で応援してもらいながら、10年後も野球を続けていたいです。
―これからプロ生活が始まるというときに失礼な質問ですが、プロ野球選手のその後は何か考えていますか?
2年後に戦力外になっているかもしれませんしね(笑)。そうならないようがんばりますけど…。野球でここまで来たので、野球に関係することをしたいなとは思っています。
―今の自分に点数を付けるとしたら?
50点ですね。これからの人生で少しずつ100点にしていきたいです。
【プロフィール】いずぐちゆうた/1999年5月17日生まれ、御坊市出身。幼稚園卒園と同時に野口少年野球クラブで野球を始める。大阪桐蔭高校3年生の選抜大会で全国制覇。青山学院大学では、3年生の秋のリーグ戦で1部昇格を果たし、主将を務めた4年生ではベストナインに。卒業後は、NTT西日本でプレー、2023年のドラフト会議で読売ジャイアンツから4位指名。右投げ左打ち、遊撃手、背番号35
取材/2023年12月19日京都府久御山町のNTT淀総合運動場で
記者・ライター・編集者歴21年。硬派な記事も軟派な原稿も書きこなせるけれど、偏食家のためグルメレポは結構ツライ。ちょっと変わり物なので、独特の視点で表現するとよく言われ、その個性は大事にしつつ、正確な情報を伝えます。ビールが好き、韓国が好き!