楽天イーグルスドラフト6位指名・中島大輔選手【和歌山県日高川町出身】
龍谷大平安高校、青山学院大学から東北楽天ゴールデンイーグルスに入団した中島大輔選手。小・中学校時代、和歌山御坊ボーイズに所属していた和歌山県出身の外野手。背番号32。和歌山から杜の都へ羽ばたく“金の鷲”に期待して、インタビュー。
強かった和歌山御坊ボーイズ、東京ドームでベスト4
父親の影響で小学校1年生から野球漬けの毎日、中学校は卓球部に所属
―野球を始めたのはいつ? きっかけは?
父親が日高中津高校野球部OBで、一つ上の先輩が「和歌山御坊ボーイズ」の監督をしていて誘われたので、小学校1年の時に入部しました。生まれたときからバットとボールを握るのが好きだったようで…。中学校を卒業するまで、制服とジャージと練習着を着る毎日で、ほとんど私服を持っていなくて、完全に野球少年でしたね。でも、わりと勉強ができる子だったんです(笑)。あっ、それと卓球も得意です。御坊ボーイズとは別に、僕の通っていた中学校は全員が部活に加入しないといけなくて、卓球とソフトテニスの2択で卓球部に入ったんですよ。だから、今も“素人”には負けません。
控えめでおとなしい子だったけど、野球のポテンシャルは抜群
―子どものころはどんな子でしたか?
控えめでおとなしい子でした。怒られるのが嫌で、何も言われないように目立たないようにするというか、与えられたことはきっちりこなすタイプでした。
―中学生の時、「ジャイアンツカップ(全日本中学校野球選手権大会)」でベスト4。憧れの東京ドームでプレーしました
本当にいいメンバーに恵まれ、強かったんです。みんなバラバラの高校に行って、甲子園で対決したことも。チームメイト1人は高卒でプロに行きましたしね。このころの僕のポジションはショートでした。
甲子園出場が絶対条件で龍谷大平安高校に進学
入学後すぐに大けが、甲子園100会記念大会は応援席で
―高校は龍谷大平安に進学
中学校の時に甲子園で高校野球を見て、自分もあの舞台に立ちたいなと思いました。高校進学は甲子園に出場できる学校が第一条件で、県外に行きたいと思っていました。本当は関東に行きたかったのですが、そこは親が…。
―地元の智辯和歌山への進学は考えなかった?
もちろん、選択肢になかったわけではありませんが、僕自身がお声を掛けていただけるような選手ではなかったので。
―高校時代、大けがをされました
入学してすぐに膝を手術して、1年半くらい野球ができなかったんです。僕が2年生の時の夏の甲子園がちょうど100回記念大会。その大会で、平安高校は春夏通算100勝を達成したのですが、僕はスタンドで応援。先輩に交じって同級生がプレーしている姿を見て、悔しかったというか、来年絶対にこの場に立つって誓いました。
3年生の春の甲子園で御坊ボーイズのチームメイトと対戦
―龍谷大平安校野球部の雰囲気は?
体育会系そのもの。原田英彦監督には他の誰よりも厳しく指導してもらい、なんで僕だけ?と思ったこともありましたが、でも、野球を辞めたいと思ったことは一度もありません。
―高校時代の印象に残っている試合は?
やっぱり、甲子園かな。2年生のときは応援席でしたが、3年生の春の大会でグラウンドにたったとき、今までにない、スタンドに囲まれているような雰囲気に感動しました。試合は準々決勝でサヨナラ負けをしてしまいましたが、和歌山御坊ボーイズのチームメイト・寺迫涼生選手(明豊高校投手)との対戦は鳥肌が立ちました。
東都リーグでのプレーを選択、青山学院大学へ
当時はリーグ2部、将来のことも考えての決断
―高校卒業後、青山学院大学に進学。青学を選んだ理由は?
高校で行けなかった関東の学校に行きたいと思いはまだあって。そして、強いチームでやりたいと思いもありました。当時、青学は2部でしたが、お声掛けいただいた数校の中から、その先の将来のことも考えて青学に決めました。
―青山学院大学の野球部の雰囲気は?
厳しかった小・中・高校とは違って、いい意味で上下関係も練習も“緩い環境”で自主性が求められるところでした。練習は午前で終わるし、1学年13人までと人数は少ないし…。でも、すごい選手ばっかりで、めちゃくちゃ自主練習するんですよ。大学までは課せられたことを必死にこなすことで成長してこられたので、それはそれでよかったのですが、大学に入学してから、練習も試合も“自分で考えて行動する”というスタイルに自ずと変化し、人としてもすごく成長できたと思います。正直、高校までは、怒られたくなくて、形にはまった野球をしていたのですが、大学では、ホームランを狙ってみようとか、初球から盗塁しようとか、失敗を恐れず大胆なことができるようになり、すごく楽しかったですね。
プロを意識したのは大学3年生、人として成長した大学野球
―プロを意識したのはいつごろ?
大学3年生までは無理だろうなと思っていて…。大学に入学したときに、監督やコーチとの面談で「社会人で野球を続けたい」と言ったら、「プロ野球選手になりますと言い直せ」と言われ、その次に、「プロ野球選手になって活躍します」と。当時の僕のレベルでは恥ずかしくて、自分なんかという思いが強かったですね。
―大学時代の印象に残っている試合は?
大学日本一(全日本大学野球選手権で優勝)。これは今までの野球人生の中で一番うれしかったこと。逆に悔しい思い出は、勝てば東都リーグ1部昇格という試合で、外野フライでも打てれば勝利だったのに、ゲッツー(ダブルプレー)。自分のせいで負けて、昇格ならず。
―大学4年生のときにはキャプテンを務め、春・秋リーグ・全日本大学野球選手権優勝。侍ジャパン大学日本代表にも選出され、主将で日米大学野球選手権大会優勝しました。そのキャプテンシーが評価されています。
本当にすごいメンバーに囲まれて…。大学の同期投手2人(下村海翔・常廣羽也斗)もそうですが、日米野球ではドライチ(ドラフト1位指名)の連中ばっかりの中、いい勢いをもたらすことができたのかなと。あのメンバーに胴上げしてもらえたことには感動です。
和歌山での思い出、好きな食べ物
―和歌山での思い出の場所、行ってみたい場所は?
思い出の場所は、和歌山御坊ボーイズの練習場所で毎日のように通っていた玄子グラウンドと、試合でよく行っていた御坊市民球場(総合運動公園野球場)。行ってみたい場所はTikTok(ティックトック)でバズっている「白浜エネルギーランド」。
―お気に入りのご当地フードはありますか?
特にこれといって思いつかないですけど、海鮮が好きで、刺身をよく食べていたかな。今、実家に戻って来ると、親が盛大な料理を用意してくれるので、それを食べるのが楽しみです。
楽天イーグルスで目指すは“1番センター中島”
憧れは吉田正尚選手、10年後もチームに必要とされる選手に
―今の自分に点数を付けるとしたら?
80点.今後の成績を含めまだまだできると思って-20点です。
―東北楽天イーグルスでの抱負を聞かせてください。
選手それぞれに求められる役割があると思うんです。僕は1球目から走塁するその積極性を評価してもらっているので、走りたいなと。上位打線で。楽天で昨シーズン規定打席に到達した選手は3人。特に外野はレギュラー化されていないので、スタメンが固定されているチームよりチャンスはあるんじゃないかなと。もちろんプロの世界は厳しいのは承知の上で、とにかく1軍に上がって活躍したいです。
―10年後はどうなっていたいですか? また、プロ野球選手のその後の人生について考えていますか?
10年後もプロ野球選手でいたいですね。青学の先輩でもある吉田正尚選手のようなメジャーリーガーになれればカッコいいですけど…。活躍もそうですけど、地味でも10年間チームに必要とされる存在でありたいと思っています。その後の人生…、3年でダメなら東京でサラリーマンするかな~(笑)。満員電車に揺られて通勤するというのもちょっとやってみたいです。
【プロフィール】なかしま だいすけ/2001年6月4日生まれ、日高川町出身。和歌山御坊ボーイズ、龍谷大平安高校、青山学院大学。高校3年生の選抜大会でベスト8。大学1年生で2部優勝、1部昇格。4年生は主将で春・秋リーグ・全日本大学野球選手権優勝。侍ジャパン大学日本代表主将、日米大学野球選手権大会優勝。2023年のドラフト会議で楽天イーグルスから6位指名。右投げ左打ち、外野手。インスタ▷@daisuke896
取材/2023年12月27日和歌山県日高川町の玄子グラウンドで
記者・ライター・編集者歴21年。硬派な記事も軟派な原稿も書きこなせるけれど、偏食家のためグルメレポは結構ツライ。ちょっと変わり物なので、独特の視点で表現するとよく言われ、その個性は大事にしつつ、正確な情報を伝えます。ビールが好き、韓国が好き!