新たな宝物相次ぎ発見 和歌浦天満宮で
和歌山市和歌浦西の和歌浦天満宮(小板政規宮司)の蔵から、徳川家入国前の紀州藩主・浅野幸長(よしなが)が慶長11年(1606)に奉納した「三十六歌仙扁額」のうち5枚をはじめ、貴重な宝物が新たに見つかった。
【写真】見つかった宝物と小板宮司
同宮の現在の社殿は同年、浅野幸長が2年の歳月をかけて再興したもので、国の重要文化財となっている。同時期に幸長が奉納した「三十六歌仙扁額」は、2022年に境内の倉庫から18枚が見つかり、24年に市文化財に指定されており、今回、未発見だった額の一部が新たに発見された。
絵の部分は退色や傷みが大きいが、箱には奉納された年月日、「従四位下豊臣幸長朝臣」と幸長の名前がはっきりと記されている。これ以上の劣化を防ぐため、市立博物館に預け入れることになった。
市によると、市文化財の「三十六歌仙扁額」は、絵筆者が狩野派正系絵師と推測され、色紙形の文字は「寛永の三筆」に数えられる公卿、近衛信尹(このえ・のぶただ)と考えられる。損傷は進んでいるが、希少な価値がある。
7月19日、小板宮司が天神祭の準備のため蔵を掃除していた際、「昔からあるこれは何かな」とふと思い、手に取ってほこりを払ったものが「三十六歌仙扁額」で、驚いて「3回見直した」という。
さらに、元禄4年(1691)に歌人の島順水が奉納した神事に使われる道具「金幣釣下型」、時代や奉納者は不明の「鉾(ほこ)」、皇室との関係を思わせる「菊花御紋」も発見された。
『紀州郷土芸術家小伝』(貴志康親著)によると、島順水は和歌浦出身で、同時代の高名な浮世草子作者、俳諧師の井原西鶴と並び称される歌人とされる。
同宮では昨年来、紀州徳川家初代藩主徳川頼宣が奉納したとみられる装飾品、金属製の真榊(まさかき)をはじめ、隣地の紀州東照宮に続く石段、桑山玉洲筆と推測される石碑など、歴史の手掛かりとなる発見が相次いでいる。
小板宮司は「3年後には菅原道真公が亡くなられて1125年を迎えるにあたり、天満宮をしっかり存続しろよと言われているような気がする」と話す。
県文化財センター文化財建造物課の多井忠嗣課長は「今回出てきたものから、江戸時代に和歌浦天満宮がどのような立ち位置にあったのか、紀州藩と天満宮の関係が明らかになっていくと、新たな価値付けができるのではないか」と述べ、「三十六歌仙扁額はまだ全てそろってはいないが、全容が明らかになる大きなきっかけになっていく」と今後の調査に期待を寄せている。