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「ありがとう、周平さん」 岸本知事死去受け山下さん

公開日 2025.04.17
衆院選への初出馬を表明し、菅直人元首相㊧と共に街頭演説する岸本さん(2005年8月13日)

岸本周平和歌山県知事の突然の訃報を受け、県民に大きな悲しみが広がった。後援会の会長を務める山下幸男さん(69)は「あまりに突然のことで、信じられない。体力、気力はすごいものがあった。元気な周平さんしか思い浮かばない」と悼んだ。

【写真】2012年12月17日未明、衆院選で当選が決まり笑顔を見せる岸本さん㊨と山下さん(山下さん提供)

初めて会った時のことを、山下さんは今も鮮明に覚えている。2005年に衆議院に初挑戦し、落選した直後。学習塾の経営者である山下さんのもとに、力を貸してほしいとやって来た。

山下さんにとっては桐蔭高校の一つ後輩。岸本さんの当時の印象を「官僚くさかった」と振り返る。大蔵省(現財務省)、トヨタ自動車勤務といったエリートコースを投げ打っての転身。「そこまでして、なぜ政治家になりたいのか」と尋ねる山下さんに、岸本さんは答えた。「政治家になるのは天命だと思う」。

政治という仕事に一生を懸けて挑む覚悟、この国を変えたいという情熱に心を動かされた山下さんは、選挙対策本部長を務めるなど、共に選挙を戦い抜く道を歩むことになる。

落選後、毎日のように街頭や戸別訪問などで県民の話に耳を傾け「路上政治家」ともいわれた岸本さんだが、人との接し方や、どのように気配りすればいいのか、悩みを山下さんに打ち明けたことがあった。「エリートの官僚上がり」のイメージを変えたのは、4年間の「浪人生活」が大きかったと山下さんは言う。

選挙戦では、岸本さんの中高時代の同級生を中心に仲間が集まり、10万軒にポスティング。「岸本周平応援団」のメンバーが支えた。自民候補との大接戦となった2012年の衆院選で、民主党への大逆風の中、わずか300票差で勝利した感動は忘れられない。

「何事にも一生懸命で、裏・表のない人」と山下さん。そばで支えるうち、飾らない人柄、偉ぶることなく誰とでも対等に接する岸本さんは、思いを託したくなる人になったという。「こんなに能力のある人が、これほどの努力をしている。周平さんを見ていると、うぬぼれることは無くなりました」と話す。

国会議員になってからも週末は和歌山に帰って街頭に立ち、大小問わずさまざまな催しに参加するなど熱心に活動。「和歌山を良くしてほしい」との声を受けての知事への転身に関しては「一番大変だったと思う。ずいぶん迷いもあったかもしれないが、自分なりの天命に従ったんだと思います」

知事就任後も、県庁の若手職員と積極的にコミュニケーションを取る機会を設け、各地でタウンミーティングを開くなど、対話を大切にしてきた。

「知事になってからは特に、やりがいを持って生き生きとしているように見えました」

多くの県民にとって身近な存在だった。「先生」と呼ばれるのを嫌い、「知事」という肩書きよりも、親しみを込めて「周平さん」と呼ばれるのを好んだ。

山下さんは「休みなく働いていたので心配はしていたが、本人は一切弱音を吐かない。父親や母親が亡くなった時も、僕たちには一切言わなかった。今となっては、少し休ませれば良かったな、と思う」と悔やむ。

「あれほど人としての魅力がある政治家は、なかなかいない。大好きでした。『お疲れさまでした』と『ありがとう』、この言葉しかない。周平さんから多くのことを学びました。心から感謝しています」