県内最初の総合建設会社で、文化3年(1806)に紀州藩10代藩主・徳川治宝の命で創業した老舗企業、㈱原庄組(和歌山市次郎丸、中西保裕社長)は、所属する企業グループの再編により昨年夏に倒産を余儀なくされたが、新たな出資会社を得て同年12月に再生を果たし、210年続く伝統の灯を守りながら、新たなスタートを切った。
同社は治宝から大普請方の命を受けて創業し、鉱山業や海運業も営み、昭和18年に組織変更して㈱原庄組となった。主な工事歴だけでも、戦前には加太港湾築造工事、和歌山紡績本社や新宮鉄道の建設、戦後では紀陽銀行本店の戦災復旧、和歌山市民会館公会堂の新築など、県内のランドマークとなる施設に数多く関わってきた。同58年5月からは合資会社湊組(同市湊)のグループに参加し、平成27年11月には「県百年企業」に選ばれ、表彰を受けたが、同28年の同社グループ再編のあおりを受けて倒産した。
11代目の中西社長(73)は新たな出資元を探して交渉に奔走し、その努力が実り、㈱東組(同市雑賀崎、東宗弘社長)から75%、泉鋼管工事㈱(大阪府泉佐野市、泉實社長)から25%の出資を受けることができた。
「創業210年の伝統ある会社の灯を消してしまうのは非常に残念という思いに共感していただけた」と中西社長は話し、会社再生への協力に感謝する。
中西社長は平成23年、㈱淺川組を定年退職後、11代目社長として原庄組に。淺川組と取り引きがあった湊組の故・笹本誠昭会長から「原庄組を黒字にしてほしい」と招請されての入社だった。
淺川組時代の平成10年には会社更生法による倒産を経験し、約9年にわたる再生への道のりに、総務担当の役員として携わった。
「施主や協力業者に迷惑をかけ、退職を余儀なくされた従業員の苦労を目の当たりにしたことで、倒産は二度と起こしてはならないと強く心に刻んだ」と当時を振り返る中西社長は、その経験から「今回の原庄組の再生には並々ならぬ思いがあった」と語る。新出発に当たり「県百年企業にも認定された歴史ある会社は県の宝。人材の育成も行い、次期社長へ伝統を継承したい」と力強く決意を固めている。