紀州藩の史料2点を和市に寄贈 昭和燦々会

寄贈した「清寧軒焼赤楽食籠」㊨と「定書」を前に、昭和燦々会メンバー(左から2人目が島会長)と尾花市長(中央)

戦災で焼失した和歌山城天守閣が再建された昭和33年(1958)度生まれの人でつくる団体「昭和燦々会」(島慶司会長)は17日、紀州藩ゆかりの歴史資料2点を和歌山市に贈り、市役所で受け入れ式が行われた。

同会は天守閣再建からちょうど60年を迎えた10月1日にも市内の小学校と義務教育学校に和歌山城のクリアファイルを贈った。今回も天守閣再建60年を記念する寄贈で、11代藩主・徳川斉順(なりゆき)が焼かせた陶磁器の一つ「清寧軒焼(せいねいけんやき)赤楽食籠(あからくじきろう)」と、徳川家入国前に紀州を治めていた浅野幸長(よしなが)による法令書「定書(さだめがき)」の2点。

清寧軒焼は、和歌山城西の丸や湊御殿などで斉順が進んで焼かせた「お庭焼」の一つ。寄贈された赤楽食籠は、食物を盛る器で、茶の湯で菓子用に使われたと考えられる。底に記された文字や印、箱書きなどから天保4年(1833)の作品と分かり、『南紀徳川史』によると、斉順が和歌山城から新築された湊御殿に住居を移したのは天保5年5月であることから、赤楽食籠は、湊御殿ではなく西の丸で大奥用に焼かれた可能性が高いとみられる。

浅野幸長は関ヶ原の戦いの後に紀州に入国し、和歌山城と城下町を本格的に整備し、現在の和歌山市の基礎を築いた領主。寄贈された定書は関ヶ原の戦いの翌年、慶長6年(1601)に日高郡の百姓宛てに出されている。全5条からなり、第1~3条では年貢の納入方法などを定め、第4条では他国に逃げた百姓を呼び返すこと、第5条では代官に非があれば申し出ることを述べている。この法令は紀州各郡に発行され、領国支配の基礎が固められた。浅野時代の文書は極めて少なく、貴重な史料となっている。

同会はメンバーから寄付を募り、市出身の郷土史家の遺族から2点を購入した。赤楽食籠と定書は19日から、一番丁の「わかやま歴史館」で展示される。

受け入れ式は市長室で行われ、尾花正啓市長は貴重な寄贈品を喜び、感謝状を贈呈。島会長は「今後も残るものを贈りたかった。市民、県民に広く見てもらい、特に若い世代に和歌山城をもっと知ってもらうきっかけにしたい」と話していた。

記事元: わかやま新報 ※掲載記事内容は記事提供元で過去に掲載された内容になります。