甲子園名勝負の裏側語る 智弁の髙嶋前監督
高校野球の監督として甲子園通算68勝の最多記録を持つ前智弁和歌山高監督の髙嶋仁さん(72)が17日、和歌山県和歌山市本町のフォルテワジマで講演した。「逆境をチャンスに変える力~最後に輝く者~」と題し、智弁が甲子園で演じた名勝負の舞台裏や全国の強豪校を破って日本一になるために取り組んだ練習の内容などを紹介。県内外の野球ファンら約200人が聴き入った。
県教育委員会が主催。昨年8月に勇退するまでの監督生活について髙嶋さんは、次々と現れる強豪の壁を破ろうと試行錯誤する毎日だったとし、同校が初めて甲子園に出場した1985年春から5回連続で初戦敗退を喫したことにふれ、「全て勝てる試合だったのにチャンスを逃していた」と説明した。好機を確実に生かす攻撃と堅守で一時代を築いた箕島高のスタイルをヒントにチームを鍛え、6回目の甲子園となった93年夏に初勝利。「この1勝が翌年の選抜で横浜やPL学園など過去の甲子園優勝校を破って優勝する大きなきっかけになった」と振り返った。
甲子園で優勝するのに必要な要素は実力、勢い、運の三つとし、夏に初優勝した97年のチームは「監督に言われなくてもやらないといけないことができる大人のチームだった」と評価。当時の主将で現在は髙嶋さんの後任の監督を務める中谷仁さんについて「目配りや気配りができ、プロで苦労した経験があるので選手の気持ちも分かるのでは。僕よりも良いチームをつくると思う」と話した。
同校は2000年の春夏ともに準々決勝で柳川(福岡)と対戦。後にオリックスや巨人で活躍する好投手の香月良太を相手に、春は控え投手の白野託也が完封し、夏は終盤に山野純平の本塁打などで6点差を覆した。白野投手の好投は、林守部長(当時)が試合の前に腕を下げ横手から投げるよう助言したことが的中したとし、右翼手と投手を兼任し同点3ランを放った山野選手は「変わった子で自分が投げている時はよく打った」と評した。
同年夏の甲子園で1大会100安打を記録し、チームの看板となった強打については「高校野球のトップレベルの投手を想定し練習しているから甲子園でもバタバタしない」とし、日頃の練習で150㌔以上の直球や140㌔近いスライダーを打っていると説明。2006年夏は大嶺祐太(八重山商工)の直球、2002年夏は田中曜平(智弁学園)のスライダーに各選手が自信を持って対応し攻略したことを話し、炎天下の夏に勝ち続ける体力を養うことの重要性も語った。
神戸市から訪れた高校野球ファンの部井麻紀子さん(41)は「髙嶋監督の講演を聴くのは初めて。選手の活躍の裏側にあった出来事などが聴けてとても楽しかったです」と話していた。