熊野水軍城館跡が国史跡に 国審議会が答申

安宅氏城館跡の航空写真(白浜町提供)

国の文化審議会(佐藤信会長)は15日、中世に紀伊半島南岸部を支配した熊野水軍の安宅(あたぎ)氏の城館跡(和歌山県西牟婁郡白浜町安宅)を国指定史跡に、御坊市の大地主だった橋本太次兵衛家の住宅(同市湯川町小松原)を国登録有形文化財とするよう萩生田光一文部科学大臣に答申した。今回を含めて県内の国指定史跡は28件、国登録有形文化財は92カ所、266件となる。

「安宅氏城館跡」は、鎌倉時代末期から南北朝の動乱を経て、室町・戦国時代の紀伊国の複雑な政治情勢の中で、安宅氏が地方領主(熊野水軍)として自らの領域を支配するために築いた城館群。

今回の指定対象となった本拠地の安宅氏居館跡、八幡山城跡、中山城跡、土井城跡、要害山城跡の他、大野城跡、勝山城跡、大向出城跡があり、指定面積は約12万2400平方㍍に達する。

海上交通の結節点である紀伊半島南岸部において安宅氏が自律的な領域支配を行っていた証拠となり、特に戦国期は、隣接する勢力との抗争の中で戦略的に城館を築城している状況が確認できる。

さらに、他の熊野水軍の城館跡と比べて規模が大きく、良好に保存され、水運や熊野参詣道(大辺路)を介して相互に関連している様相がうかがえる。

県教育委員会文化遺産課は「中世の熊野水軍の存在形態を示す城館跡として貴重であると評価された」としている。

「橋本太次兵衛家住宅」は旧熊野街道沿いに位置する。同家は代々、太次兵衛を名乗り、近世から肥料商と砂糖問屋を営み、近代になって多くの田畑を取得し、周辺地方屈指の大地主となった。

登録対象は、同住宅の建物のうち新座敷、旧米穀集荷事務所、土塀の3件。貴重な地域の文化財であり、熊野街道沿いの歴史的景観の形成に寄与している。

新座敷は木造2階建て、瓦ぶき。明治45年(1912)、先々代の嫁入りの際に庭園とともに造られたと伝えられる。正面にむくり破風を付けた玄関を構え、1階は8畳の座敷、床の間、仏壇を備えた押入れなどがあり、2階は8畳1室となっている。

旧米穀集荷事務所は、木造平屋建て、瓦ぶき、ペンキ塗りの洋館で、小作米の集荷と事務が行われていた。戦後、昭和21~55年(46~80)には湯川郵便局の局舎として使用され、建築年代は不明だが大正後期と伝えられている。

土塀も大正後期に建てられたと考えられ、高く石垣を積み土塀を造り、表面はモルタル洗い出し仕上げとし、瓦をふいた上質なものとなっている。

記事元: わかやま新報 ※掲載記事内容は記事提供元で過去に掲載された内容になります。