駿河屋菓子木型などを指定 和歌山市文化財

駿河屋菓子木型(和歌の浦)(和歌山市提供)

紀州徳川家の御用菓子商を務めた駿河屋の菓子木型や、和歌山県和歌山市出身の画家・ヘンリー杉本が描いた戦時中の日系人収容所の油彩画、中世の仏像など5件が、新たに同市指定文化財となった。市に関係する異なる時代の歴史や文化を知ることができる貴重な資料ばかりで、市指定文化財は合わせて70件となった。

【駿河屋菓子木型】167組・63点・13冊を指定。駿河屋は室町時代の1461年、京都・伏見で創業し、江戸時代初期に和歌山に移り、紀州徳川家の御用菓子商を務めた。紀州藩の歴史書『南紀徳川史』や江戸時代後期の地誌『紀伊国名所図会』にも、藩からの御用が頻繁だったとの記載が見られる。

菓子木型の中には裏面に墨書がみられるものがあることに加え、菓子の見本帳(絵手本)と照合することができ、167組・63点のうち50組・18点は藩主の命で作られたことが分かっている。

大名に命じられて作られた江戸時代の菓子木型が、絵手本を伴ってこれだけの規模で現存している事例は全国的にも珍しい。

【ヘンリー杉本作日系人収容所油彩画】36点を一括で指定。杉本(1900~90)は19歳でアメリカに渡り、画家として成功し始めたころに太平洋戦争が勃発し、日系人収容所に送られた。

自身が暮らした収容所の日常生活「キャンプシーン」をリアルに描いた絵画群は、戦争史の一端を示す貴重な「ドキュメンタリー絵画」としてアメリカで高く評価されているだけでなく、和歌山の移民史上の資料としても価値が高い。

【十一面観音立像】歓喜寺(禰宜)に伝わる菩薩像。針葉樹の一木造りで、肩を張って腰を絞った緊張感のある立ち姿や、大波と小波を繰り返し、鋭く表現した翻波式(ほんぱしき)と呼ばれる衣の表現は、平安時代前期(9~10世紀)の彫刻に見られる特徴となっている。

市内の同時代の彫刻は、慈光圓福院の十一面観音立像(重要文化財)と紀三井寺の重要文化財の仏像群が確認されている程度で、紀の川下流域に伝来した数少ない重要な作例といえる。

【阿弥陀如来坐像】善楽寺(金谷)に伝わる平安時代後期の仏像。緊張を解いた穏やかな作風は同期の定朝(じょうちょう)様式に基づくものだが、乾燥による干割れを防止するため、像の背中に窓を開けて内部を繰り抜く古い技法が使われていることなどから、都の造像とは一線を画した紀伊国在地の仏師による製作と考えられる。

両脚部の裏側には元応2年(1320)の修理銘があり、紀の川流域の有力氏族が修理に関わったことが記されており、紀伊国での中世の信仰の広がりや、地域史をものがたっている。

【阿弥陀来迎図 附(つけたり) 桑山重晴寄進状】総持寺(梶取)に伝わる絵図。平安時代中期に広まった浄土信仰で、阿弥陀如来が死者を迎えに来た場面を描いている。

市内に残る数少ない鎌倉時代の絵画資料であるだけでなく、豊臣秀吉の弟・秀長の家臣で、和歌山城代を務めた桑山重晴が母の菩提を弔うために高野山遍照院から譲り受け、総持寺に寄進したことを記した寄進状が残っており、伝来の経緯が分かる点も重要といえる。

記事元: わかやま新報 ※掲載記事内容は記事提供元で過去に掲載された内容になります。