紀伊半島大水害10年 仁坂知事が追悼の献花

那智勝浦町井関地区の慰霊碑に献花する仁坂知事

和歌山県内で死者・行方不明者が61人に上った2011年9月の紀伊半島大水害から10年を迎え、各地で追悼の祈りがささげられている。5日、仁坂吉伸知事は那智勝浦町の井関地区をはじめ特に被害が大きかった被災地4カ所を巡り、犠牲者に献花。10年間の復旧、復興、防災対策の強化にふれ、「亡くなる人がないように一生懸命しなければならない。災害を忘れるなということは、次に起こったときはもっと人の命を救うということではないか」と語った。

5日は当初、県と被災した6市町の共催による追悼式を那智勝浦町で行う予定だったが、新型コロナウイルスの感染拡大により延期となり、仁坂知事が慰霊碑や記念碑が建つ同町井関地区の紀伊半島大水害記念公園、新宮市熊野川町の道の駅「瀞峡街道熊野川」、田辺市熊野(いや)地区、同市伏菟野(ふどの)地区の4カ所を訪れ、献花をすることになった。

2011年8月30日から9月5日にかけ、台風12号による記録的豪雨が紀伊半島に降り続け、広範囲で総雨量は1000㍉を超えた。特に被害が大きかった那智勝浦町の那智川流域では、4日未明の1時間で140㍉の猛烈な雨となり、井関地区で29人、市野々地区で8人が犠牲となった。

井関地区の紀伊半島大水害記念公園には、犠牲者の名前を刻んだ慰霊碑と、被害状況や復興への誓いを記録した記念碑が並んで建つ。

仁坂知事が訪れることを知り、那智谷大水害遺族会代表の岩渕三千生さん(60)が駆け付けた。

記念公園があるのは、土石流で流された岩渕さんの実家の跡地。公園内には、岩渕さんが設置した「台風12号最高水位3550㍉」と記した青い柱があり、10年前のすさまじい水の勢いを今に伝えている。

実家は1階が押し流され、2階が木に刺さった状態で残されていた。おいの紘明さん(当時15)を亡くし、翌月には土石流の難を逃れた父・三邦さん(当時76)が紘明さんの遺品を捜している最中に急死し、災害関連死に認定された。

「10年というが、遺族には節目はない」と岩渕さん。献花の前日の4日、遺族会主催の慰霊祭が執り行われた。準備を進めていた「8月の盆の頃から気持ちが上がってこない。当時を思い出して複雑な思いになる」中、水害の記憶を伝え続けなければならないとの思いで、メディアの取材も受け続けてきた。

ことしも報道を目にした全国の親類や友人から「見たよ」「頑張って」と連絡がきた。「ありがたい。地元でなくても気を掛けてくれている。大雨が降ったら早く逃げようと、一人でも多くの人に思ってもらえたらいい」。

慰霊碑に花束をささげた仁坂知事は、大水害直後から多様な防災対策の努力を重ねてきたことを振り返った上で、「備えは随分できたと思うが、最後に使うのは人間だから、ちゃんと理解していなければ使いこなせない。常に反省をして、いつもレベルを保っておかないといけない」と話した。

記事元: わかやま新報 ※掲載記事内容は記事提供元で過去に掲載された内容になります。