膵がん治療に尽力 県医大の山上教授退官へ

教え子の名前が書かれたボードを前に笑顔の山上教授

和歌山市紀三井寺の県立医科大学の山上裕機(やまうえ・ひろき)副学長(65)が3月末で定年退官する。若手時代から膵(すい)がん治療や消化器がん手術に尽力し、近年は付属病院長として新型コロナウイルス感染症対策に奔走した。もう一つ、力を注いだのが後進の育成。「若い医師に言葉を残すとしたら、患者の心の声に常に耳を澄ませる医師を目指せと言いたい」

山上氏は岡山県高梁市出身。1981年に同大学医学部を卒業後、外科医として付属病院に配属。2001年には外科学第2講座の教授に就任し、医学部長も歴任した。17年から昨年3月までは付属病院長を務めた。

膵がんは所見が難しく進行性のため難治とされる。若い頃に「発見の遅れや再発で多くの尊い命が奪われていく」現場を見てきた。「膵がんを克服したい」との思いから、19年に「膵がんセンター」を立ち上げ、センター長に就任。膵がんの兆候を早期に診断して治療する体制を全国に先駆けて整えた。術後のみでなく術前にも抗がん剤を投与する手法なども取り入れ、再発防止を図ってきた。
20年春ごろ、世界中で猛威を振るい始めた新型コロナでは、多くの経験を積んだ病院長らしい的確な判断をした。

「コロナ治療に集中するあまり、医療全体が機能まひする『医療崩壊』だけは起こしてはならない」との信念を貫いた。軽症や軽い中等症患者の診断は地域の拠点病院に任せ、重症患者は責任を持って付属病院で診る決断をした。自らは、拠点病院の役割を担っていた付属病院の分院に足を運び、治療を続けることも忘れなかった。「現場の医師の忙しさや苦悩も分かっていたからこそ、自然に足を運んだだけです」と謙遜する。
医師になってから特に趣味も作らず、医療現場と研究に情熱を傾け、駆け抜けた41年間だった。退官後は名誉教授として大学に残って研究は継続。治療行為は4月1日から働く橋本市の紀和病院の院長として続ける。

青年期は教師か医師になりたかったという。「結果的に教授として指導できたので教師にもなれたかな」と笑う。大学の教養課程で哲学の担当恩師から「人とは、人生とは何か」を考える重要性を教わった。患者の心のひだに触れ、寄り添う大切さを胸に刻み込むことができた。

「患者に医師が嫌われていては最善の治療はできない。技術の習得も大事だが、医師こそが人間性を問われる職業だと、若手には早く気付いてもらいたい」

その思いは若手に確実に受け継がれている。他大学から主任教授として招聘(しょうへい)された教え子はこれまでに4人を数える。有名国立大学の医師らを抑えて選ばれた人材も少なくない。

70年以上の歴史を誇る県立医科大の一時代を築いた名教授が残したかった「思い」や「遺産」が色あせることはない。

記事元: わかやま新報 ※掲載記事内容は記事提供元で過去に掲載された内容になります。