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和歌山ニュース 続く東北被災地との交流 青年団体有志が12年

続く東北被災地との交流 青年団体有志が12年

公開日 2023.03.13
昨年末に行われた石巻市での交流会(高垣さん提供)

東日本大震災の被災地、宮城県石巻市へ、青年ボランティア団体の有志らが年の瀬に和歌山市からミカンを運び、現地で「運動会」を開くなど交流を続けている。2011年の震災以降続く活動は、年を重ねるごとに結び付きを強くしている。呼び掛け人で、和歌山県BBS連盟会長の高垣晴夫さん(60)は「毎年、友達のところへ遊びに行く感じ。待ってくれる人たちがいる限り、交流はこれからも続けたい」と話している。

東北を訪れているのは、同連盟、和歌山市青年団体協議会の有志。昨年末は和歌山から7人が向かった。

11年12月、高垣さんが、更生保護の活動を通じて交流のあった遠藤孝一さん(63)に、仲間と共にストーブとミカンを届けたのが始まり。

遠藤さんは父親と車で避難する際に車ごと津波に流され、死を覚悟しながらも奇跡的に助かった。遠藤さんの無事を知った時、高垣さんは「生きていてくれて良かった」、心の底からそう思ったという。

翌年からは大型ワゴン車にミカンを積んで運び、石巻市の上釜地区で「みかん狩り運動会」を開くようになった。「運動会」にしたのは、体を動かしながらミカンでビタミンを取り、寒い冬を元気に過ごしてもらいたいという思いから。

届けるミカンは有志で購入したものや、有田市の農家に提供してもらったものなど。高垣さんは「とても一人ではできないこと。多くの協力を得て、思いをつなぐことができるのはありがたい」と感謝する。当初、10箱だったミカンは、今では1・2㌧になった。

運動会では、参加者がパンダのかぶりものをしたり、互いの地で東京五輪の聖火ランナーを務めたメンバーがトーチを持って子どもたちに説明したり。串本のロケットをPRするなど、趣向を凝らした昨年末の交流会には、住民ら約80人が参加した。毎年参加してくれる親子もおり、震災後に生まれた子も多くなった。運動会では、ミカンをどれだけ高く積めるかを競ったり、輪投げや、お玉に載せて運ぶゲームをしたりして楽しむ。交流10年目には、近くの公園に記念の植樹をした。

あの日を忘れない 震災の記憶を共有
ミカンとともに車に揺られながらの約1000㌔は、遠く離れた距離ではなく、行き慣れた道のりになった。訪問先も、石巻を中心に、岩手や福島などに拡大。熊野三山の写し霊場が宮城の名取市にあるなど、和歌山と東北のつながりを知るうち、寄せる思いは一層強くなっていったという。

被災地の復興は進み、参加者に笑顔も増えてきた。平穏は戻ってきたように思えるが、まちを出た多くの人が戻らず、人口減少も課題。当時のままの状態で残された建物も多いという。

参加する住民の中には家族や友人を亡くした人もいる。「相手の心の奥深くにあるものをどれだけ理解したいと思っても、体験者でなければ分からないつらさもある。ただ、『僕らも、いるよ』と伝えたい。困った時に頼り合える関係になれれば」と高垣さんは話す。

11年12月には、児童74人、教職員10人が犠牲になった石巻市の震災遺構、大川小学校を訪ねた。音のない、がれきに埋もれた場所で、自然災害がもたらした破壊のすさまじさに立ち尽くした。

時間とともに進む記憶の風化を感じながら、高垣さんは忘れないでいることの重要性を感じている。

「『あなたの』記憶ではなく、『私たちの』記憶にしていきたい。相手の話を聞き、記憶を分けることで、その人のしんどさを少しでも軽くすることができると思うんです」

津波「まず逃げて」 被災地の学び生かす
遠藤さんから教わったのは「津波から、とにかく逃げること」「生き残ろうとすること」「絶対に諦めないこと」。石巻では、津波からの避難をためらい、多くの人が犠牲になった。「大きな地震の後には、必ず津波が来る。それを知らしめることが大切」との思いを強くする。

和歌山でも近い将来、南海トラフを震源とする巨大地震の発生が懸念されている。津波の高さを知っていれば、取れる行動も変わってくる。被災地の声を和歌山に届け、生かそうと動き、17年には和歌山市の片男波海水浴場に、予想される津波の高さを示す看板を設置した。

「また来年ね」――。別れ際、いつものように交わすやりとり。最近では東北の人たちから「今度、和歌山へ行くよ」といった言葉も聞けるようになった。

5月には、大川小学校での植樹も計画している。高垣さんは「紡いだ人と人の縁を、未来につなげていきたい。子どもたちの心にも、何か残せれば」と話している。